弥生館

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弥生館
Yayoikan
1951年頃の弥生館
地図
情報
正式名称 弥生館
開館 1928年
閉館 1982年4月4日
最終公演青春グラフィティ スニーカーぶる〜す』(河崎義祐監督)[1]
収容人員 244人
用途 映画館
所在地 愛知県安城市安城町上細田(1950年代)
愛知県安城市末広町5-6(1980年)
位置 北緯34度57分23.8秒 東経137度05分08.3秒 / 北緯34.956611度 東経137.085639度 / 34.956611; 137.085639 (弥生館)座標: 北緯34度57分23.8秒 東経137度05分08.3秒 / 北緯34.956611度 東経137.085639度 / 34.956611; 137.085639 (弥生館)
最寄駅 国鉄東海道本線安城駅
最寄バス停 名鉄バス「末広北」停留所
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弥生館(やよいかん)は、かつて愛知県安城市末広町にあった映画館。1928年(昭和3年)に開館し、1982年(昭和57年)に閉館[1]。1984年(昭和59年)に建物が解体された[2][3]

歴史[編集]

戦前[編集]

松竹のスターである上原謙(左)や田中絹代(上)は弥生館によって安城の町に紹介された。

弥生館の開館は1928年(昭和3年)である[3]碧海郡安城町国鉄東海道本線安城駅の駅前通りを南に向かい、末広町で路地を東へ入った所に劇場があった[3]

安城町には同時期の1928年から1929年頃に安城座と帝国座も開館しており、一気に3館の演芸場や映画館が集まる芸所となった。さらに同時期には、安城町に隣接する碧海郡桜井村(現・安城市)にも桜井映画劇場が開館している。安城町に隣接する碧海郡刈谷町(現・刈谷市)の大黒座はまだ芝居小屋であり、碧海郡新川町(現・碧南市)の寿々喜座新盛座もやはり演劇場だった。

弥生館では松竹系の映画が上映され、上原謙田中絹代佐分利信などのスターを安城の町に紹介した[3]。特に盆や正月が盛況であり、隣接する半弓場や置屋をも超えて、菓子屋の角を曲がるまで入場を待つ客の列が続いたという[3]

戦後[編集]

1951年の弥生館と安城映画劇場の広告

1950年(昭和25年)の一年間の映画観覧者は洋画1,466人、邦画107,441人であった[4]。『全国映画館総覧 1953年版』によると、1953年(昭和28年)の安城市には弥生館と安城座の2館の映画館があった[注 1]。『全国映画館総覧 1955年版』によると、1955年(昭和30年)の安城市にも弥生館と安城座の2館の映画館があり、弥生館の座席数は398席、一方で安城座は852席だった[6]。1958年頃には島田正吾山田五十鈴主演の『夏祭り三度笠』を上映した[3]

1959年(昭和34年)には安城市3館目の映画館として南映会館が開館し、弥生館は松竹東宝新東宝安城東映(安城座から改称)は東映、南映会館は日活大映洋画で住み分けられた。映画最盛期である1960年(昭和35年)の安城市には弥生館、安城東映、南映会館の3館の映画館があった[注 2]。後に弥生館は日活・松竹系となっている。『映画便覧 1963年版』によると、1963年(昭和38年)の安城市には弥生館・安城東映・南映会館の3館の映画館があり、弥生館の座席数は400席、安城東映は860席、南映会館は350席だった[8]

『映画館名簿 1980年版』によると、1980年(昭和55年)の安城市には弥生館・安城東映・安城東宝の3館の映画館があり、弥生館の座席数は244席、安城東映は360席、安城東宝(南映会館から改称)は244席だった[9]。安城東映は東映と日活を、安城東宝は東宝と松竹と洋画を上映していたが、この頃の弥生館は成人映画館になっていたとされる[9]

閉館[編集]

1981年(昭和56年)3月に安城東宝が都市改造事業の為に閉館すると[10]、1982年(昭和57年)4月4日の『青春グラフィティ スニーカーぶる〜す』(河崎義祐監督)上映終了をもって弥生館が閉館。2年後の1984年(昭和59年)4月頃に建物は取り壊された[2]。弥生館の解体と同じ年には安城東映も閉館しており[2]、これによって安城市から映画館がなくなったが、11年後の1995年(平成7年)12月に10スクリーンを持つシネマコンプレックスの安城シネマ(現・安城コロナシネマワールド)が開館した。2017年(平成29年)時点で弥生館の跡地は空き地となっている。

安城市の映画館[編集]

弥生館と同じく末広町にあった安城東映
画像 館名 所在地 開館年 閉館年
桜井映画劇場 安城市の桜井地区[注 3] 1929年 1964年
南映会館 安城市日ノ出町3北緯34度57分12.5秒 東経137度05分26.3秒 1955年 1968年
安城東宝劇場 安城市御幸本町7-2北緯34度57分32.8秒 東経137度05分14.2秒 1962年 1981年
安城座/安城東映 安城市末広町8-7北緯34度57分22.6秒 東経137度05分02.4秒 1911年 1984年
弥生館 安城市末広町5-6北緯34度57分23.8秒 東経137度05分08.3秒 1928年 1982年
安城コロナシネマ 安城市浜富町6−8北緯34度57分23.8秒 東経137度05分08.3秒 1995年 営業中

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1953年の映画館(愛知県) 「消えた映画館の記憶」も参照した[5]
  2. ^ 1960年の映画館(愛知県) 「消えた映画館の記憶」も参照した[7]
  3. ^ 碧海郡桜井町にあった桜井映画劇場は、桜井町の安城町への編入3年後に閉館している。

出典[編集]

  1. ^ a b 「映画案内」『中日新聞朝刊』中日新聞社、1982年4月4日、11面。2023年5月26日閲覧。
  2. ^ a b c 「雑記帳」『民声新聞』1984年4月15日号
  3. ^ a b c d e f 『写真集 安城いまむかし』pp.136-137
  4. ^ 『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 安城』国書刊行会、1979年
  5. ^ 『全国映画館総覧 1953年版』時事通信社、1953年。
  6. ^ 『全国映画館総覧 1955年版』時事通信社、1955年
  7. ^ 『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年。
  8. ^ 『映画便覧 1963年版』時事通信社、1963年
  9. ^ a b 『映画館名簿 1980年版』時事映画通信社、1980年
  10. ^ 「映画案内」『中日新聞朝刊』中日新聞社、1981年3月13日、15面。2023年5月26日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『映画館名簿』時事映画通信社、各年度版
  • 『写真集 安城いまむかし』名古屋郷土出版社、1989年
  • 安城市史編集委員会『新編安城市史 4 通史編 現代』安城市、2008年
  • 神谷素光(編著)『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 安城』国書刊行会、1979年
  • 神谷素光『目でみる碧海の100年』名古屋郷土出版社、1989年