平野八幡神社

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平野八幡神社
所在地 兵庫県神戸市西区平野町慶明184
位置 北緯34度41分32.6秒 東経134度59分02.4秒 / 北緯34.692389度 東経134.984000度 / 34.692389; 134.984000 (平野八幡神社)座標: 北緯34度41分32.6秒 東経134度59分02.4秒 / 北緯34.692389度 東経134.984000度 / 34.692389; 134.984000 (平野八幡神社)
主祭神 譽田別尊(応神天皇)
創建 白雉4年(653年)
例祭 10月22日
地図
平野八幡神社の位置(神戸市内)
平野八幡神社
平野八幡神社
平野八幡神社 (神戸市)
平野八幡神社の位置(兵庫県内)
平野八幡神社
平野八幡神社
平野八幡神社 (兵庫県)
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平野八幡神社(ひらのはちまんじんじゃ)は、兵庫県神戸市西区に鎮座する。

祭神[編集]

主祭神

譽田別尊(応神天皇)

配祀神

由緒[編集]

当社は、白雉4年(653)9月15五日、豊前国宇佐八幡宮より勧請創建され、嘉祥元年(848)に社殿を再建した記録が残っている。以来幾度か修復再建が繰り返されたが、現在の社殿は、明治29年(1954)に瓦葺で再建されるも老朽化甚しく、昭和60年(1985)より修復し、銅板葺とした。

慶安元年(1648)、徳川将軍より御朱印・高九石を下され、その後、明石藩主松平兵部大輔以来万延元年(1860)まで、二百十数年御朱印領として栄え、古来より社名を五社宮・平野八幡・慶明八幡といった。

拝殿前の能舞台は、江戸中期の元禄時代以降、一般庶民が歌舞伎や能舞を明治末期まで演じていたという。

天正6年(1578)、織田信長の家臣羽柴秀吉が、三木城を攻める為、神出との境の矢の坂に陣取った時、当社の北方台地にある三木別所方の福中城より、秀吉軍に矢を放ったため、城を知らなかった秀吉軍に所在がわかり落城した、との話が残っているが、その時の矢が神社に奉納されている。

交通機関[編集]

外部リンク[編集]