川崎孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川崎 孝
基本情報
出身地 和歌山県和歌山市
生年月日 1935年(88 - 89歳)
選手情報
ポジション 外野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 三菱重工神戸

川崎 孝(かわさき たかし、1935年 - )は、和歌山県和歌山市出身の元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは外野手

来歴・人物[編集]

県立和歌山商業高校では主将を務めた[1]。卒業後には関西学院大学に入学し、そこでも主将を務め、関西大学村山実立教大学長嶋茂雄と対戦したことがあった[2]

大学卒業後は1958年三菱重工業に入社する。1969年から三菱重工神戸の監督を務め、翌年の都市対抗野球では、チームを準優勝に導いた[1][3]

一旦、社業に戻った後に、1982年から1984年までに再び監督を務めた[1]

その後は、日本野球連盟の常任理事、センバツ高校野球の選考委員、兵庫県野球連盟会長等を歴任した[1]

またその一方で、日本放送協会で高校野球解説者を務めた。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 2009年6月1日 読売新聞 大阪朝刊 p22
  2. ^ 1999年2月28日 毎日新聞 地方版兵庫 p26
  3. ^ 「日本社会人野球協会会報1970」日本社会人野球協会 1971年

関連項目[編集]