寿駅 (北海道)

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寿駅
ことぶき
Kotobuki
中頓別 (4.1* km)
(1.4* km) 新弥生
所在地 北海道枝幸郡中頓別町字寿
北緯45度0分27.8秒 東経142度18分0.8秒 / 北緯45.007722度 東経142.300222度 / 45.007722; 142.300222 (寿駅)座標: 北緯45度0分27.8秒 東経142度18分0.8秒 / 北緯45.007722度 東経142.300222度 / 45.007722; 142.300222 (寿駅)
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 46.6* km(音威子府起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1955年昭和30年)12月2日(仮乗降場)1987年(昭和62年)4月1日(駅昇格)[1]
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日[1]
備考 天北線廃線に伴い廃駅
*キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった)
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1977年の寿仮乗降場と周囲約500m範囲。上が浜頓別方面。中頓別側に踏切があり、ホームはそのすぐ北側の線路左にある。周囲に待合室は見当たらない。この地はここに見える2軒以外は周囲に家がなく、踏切右手の2km程奥の山間と左手の頓別川を渡って中頓別方向1.5km程先にそれぞれ家屋が認められるだけで、実質この2軒のために存在したような駅である。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

寿駅(ことぶきえき)は、北海道宗谷支庁枝幸郡中頓別町字寿にかつて存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線廃駅)である。天北線の廃線に伴い、1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。

歴史[編集]

駅構造[編集]

廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した。

仮乗降場に出自を持つ無人駅となっていた。

駅名の由来[編集]

当駅が所在していた地名より。

縁起のいい駅名であったことから、廃止直前の正月である1989年(昭和64年)1月1日から、管理駅の中頓別駅にてD型硬券入場券を販売した。

国鉄末期から続く縁起切符ブームに便乗した形だが、開設以来最初で最後の入場券となった。

当時の時刻表には記念切符情報として、また鉄道趣味誌などでもニュースやコラムで紹介されている。

駅周辺[編集]

広大な原野が広がっている。

駅跡[編集]

2011年(平成23年)時点では当駅の施設は何も残っておらず、附近にバス停があるのみであった[4]。広大な原野が広がっている。

また2011年(平成23年)時点では、駅跡から中頓別方に行った所に2連の鉄骨ガーダー橋が残存していた[4]

隣の駅[編集]

北海道旅客鉄道
天北線
中頓別駅 - 寿駅 - 新弥生駅

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、905頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 中頓別町史 P855 によれば、1956年12月に停留所が設置。
  3. ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)17ページより。
  4. ^ a b 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)246-247ページより。

関連項目[編集]