大国寺 (丹波篠山市)

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大国寺

大国寺本堂
所在地 兵庫県丹波篠山市味間奥
位置 北緯35度3分57.9秒 東経135度8分51.3秒 / 北緯35.066083度 東経135.147583度 / 35.066083; 135.147583座標: 北緯35度3分57.9秒 東経135度8分51.3秒 / 北緯35.066083度 東経135.147583度 / 35.066083; 135.147583
山号 安泰山
宗派 天台宗
本尊 大日如来坐像
創建年 (伝)大化年間(645年 - 650年
開基 (伝)法道仙人
文化財 木造大日如来坐像(本尊)・木造大日如来坐像・木造阿弥陀如来坐像、木造持国天立像、木造増長天立像、本堂(重要文化財)
法人番号 7140005008729 ウィキデータを編集
大国寺 (丹波篠山市)の位置(日本内)
大国寺 (丹波篠山市)
大国寺 (丹波篠山市)の位置(兵庫県内)
大国寺 (丹波篠山市)
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大国寺(だいこくじ、大國寺)は 兵庫県丹波篠山市にある天台宗の寺院である。重要文化財指定の本堂や仏像を有し、「丹波の正倉院」と呼ばれる[1]

歴史[編集]

伝承によれば、大化年間(645年 - 650年)に、法道仙人(空鉢仙人とも呼ばれる)が国家安泰を祈願し、自ら作った薬師如来を安置し、開創したという。法道はインドから飛来したという伝説上の人物で、播磨・丹波地方には法道開基伝承をもつ寺院が多数存在する。

天暦の頃(947年 - 956年)に、兵火で焼失したが、正和年間(1312年 - 1317年)に、花園天皇の帰依により再興。安泰山大国寺の称号を賜るという。豊臣秀吉や、代々の篠山城主の崇敬を受けた。

伽藍[編集]

本堂
入母屋造、銅板葺き。桁行5間、梁間4間(「間」は長さの単位ではなく柱間の数を意味する建築用語)。室町時代中期の建立と推定される。この堂は内部構造や建築様式に特色がある。堂内は桁行1間、梁間2間を身舎(もや)とし、計6本の身舎柱が立つが、これらの柱は側柱(かわばしら、堂の外周部の柱)の柱筋とずれた位置に立っており、内外の柱筋が一致していない。身舎の桁行1間は側柱の桁行3間分の長さがある。身舎の最前列の2本の柱の間には大虹梁(だいこうりょう)を渡し、柱に差し込んだ挿肘木(さしひじき)でこれを支える。その奥の柱間には格子戸と菱欄間からなる結界を設け、仏壇はそのさらに奥、背面の廂(ひさし)部分に設ける。天井は身舎部分を棹縁(さおぶち)天井、その周囲を垂木を見せた化粧屋根裏とする。正面では前述の大虹梁を身舎桁とし、これに垂木を乗せ掛けている。身舎全体が背面寄りにずれて造られているため、背面では隅木が柱上に乗らず、身舎桁の途中で支えている。以上のような平面構成や構造は他に類例の少ないものである。様式的には、外部は和様が基調で、軒を一軒疎垂木(ひとのきまばらたるき)とし、組物は堂の四隅にのみ舟肘木を用いる簡素なつくりとする。正面の中央3間は現状では桟唐戸(さんからど)とするが、もとは和様の板戸であったと推定される。一方、内部は身舎柱に粽(ちまき)をつくる点、結界の上部を出三斗(でみつと)の詰組とする点などには禅宗様、挿肘木を用いる点には大仏様の要素がみられる。[2]
  • 鐘楼:
  • 境内:春には桜、石楠花、夏には槿、秋には燃えるような紅葉と紅白の山茶花が彩り、四季を通じて花が楽しめる。

文化財[編集]

重要文化財(国指定)
  • 木造大日如来坐像(本尊)・木造大日如来坐像・木造阿弥陀如来坐像 - 以上3躯一括で1922年大正11年)に国の重要文化財に指定。平安時代の作。
  • 木造持国天立像・増長天立像 - 平安時代の作。1922年(大正11年)に国の重要文化財に指定。
  • 本堂 - 解説は前出。1961年昭和36年)に国の重要文化財に指定。

[編集]

  • 兵庫県観光百選
  • 新丹波七福神大黒天霊場[3]
  • 寺の空間を使用:TV、CM、広告等の撮影、各種イベント、ジャズ・クラシックコンサートなど

関連[編集]

交通アクセス[編集]

所在地[編集]

参考文献[編集]

  • 『解説版新指定重要文化財 11 建造物I』、毎日新聞社、1981
  • 神戸新聞出版センター編集・発行『兵庫県大百科事典』、1983、「大国寺」の項(執筆は森明彦、多淵敏樹、神戸佳文)

脚注[編集]

  1. ^ 「丹波の正倉院」仏像拝観など再開  氷上の達身寺”. 神戸新聞NEXT (2020年10月2日). 2021年4月24日閲覧。
  2. ^ 本堂の解説は以下の文献による。
    • 『解説版新指定重要文化財 11 建造物I』(毎日新聞社、1981)、p209
    • 『兵庫県大百科事典』(神戸新聞出版センター、1983)「大国寺」の項(本堂の解説執筆は多淵敏樹)
  3. ^ [1][2][3]

外部リンク[編集]