唐の高句麗出兵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
唐と高句麗の戦争
History of Korea-645.png
唐による第一次高句麗侵攻経路
645年668年
場所 遼東半島朝鮮半島平壌附近
結果 唐・新羅連合軍の勝利、高句麗の滅亡。
衝突した勢力

新羅
高句麗
指揮官
太宗
高宗
李勣
蘇定方
契苾何力中国語版
薛仁貴
淵男生(第三次戦争)
新羅武烈王
新羅文武王
金庾信
宝蔵王
淵蓋蘇文
楊萬春英語版
淵男生(第二次戦争)
淵男建英語版(泉男建)
淵男産英語版(泉男産)
高延寿中国語版
高惠真中国語版
孫代音손대음
戦力
約100,0000人(第一次戦争)
約300,000人(第二次戦争)
約500,000人(第三次戦争)
約150,000人(第一次戦争)
約200,000人(第二、三次戦争)
(中国)唐と高句麗の戦争
各種表記
繁体字 唐與高句麗的戦争
簡体字 唐与高句丽的战争
英文 Goguryeo–Tang War
テンプレートを表示
(朝鮮)高句麗-唐戦争
各種表記
ハングル 고구려-당 전쟁
漢字
テンプレートを表示

唐の高句麗出兵(とうのこうくりしゅっぺい)は、644年から668年まで3回にわたって行われたによって行われた高句麗への侵攻である。

呼称[編集]

日本の東洋史・中国史の研究史において唐の高句麗出兵[1][2]は、「唐の高句麗侵攻[3]とも、「唐の高句麗征討(討征[4])」とも[5]、「唐の高句麗親征」とも[6][7]、「唐の高句麗遠征[8]表記される。ほかに、「唐の高句麗侵略戦争」という表記もある[9]

海外での呼称

韓国民族文化大百科では「麗唐戦争」とも表記されている[10][11]

第1次侵攻(644 - 645年)[編集]

642年に高句麗では、対唐強硬派である淵蓋蘇文がクーデターを起こし、融和派である栄留王を殺し宝蔵王を擁立した。644年11月、唐は高句麗への攻撃を開始し、645年2月には太宗が自らも出陣した。張亮が率いる海軍は、高句麗の卑沙城を陥落させた。陸軍は、李勣を総司令官とし、尉遅敬徳長孫無忌薛仁貴劉弘基、張倹、李道宗、契苾何力中国語版、閻立徳らが加わった。陸軍は、蓋牟城、白巌城、遼東城を陥落させ、さらに安市城英語版を包囲した。高句麗の褥薩である高延寿と高恵真が靺鞨軍とともに安市城救援に向かい、駐蹕山で唐軍と大会戦をしたが、唐軍が勝利した。高延寿と高恵真は唐に降伏して、唐から官位を与えられた。しかし、安市城の城主である楊萬春英語版は抗戦を続けた。唐軍は安市城を攻撃するため土山を築いたが、土山が崩れて失敗した。また、唐軍は、高句麗の新城や建安城を落とすことにも失敗した。鉄勒が唐に侵入したことや、冬になると食糧等の補給問題で戦争を続けることは困難になることから、645年9月に太宗は冬が来る前に退却した。しかし、退却途中で暴風や寒さのために大きな被害を受けた。

第2次侵攻(661年)[編集]

唐は戦略を長期消耗戦に変え、小規模の攻撃を継続し、高句麗を疲弊させた。また、唐は高句麗と敵対する新羅冊封し、661年百済の役で高句麗の同盟国・百済を滅ぼしたことで、高句麗を攻撃する態勢を固めた。661年、唐の高宗武則天は、蘇定方、契苾何力、龐孝泰中国語版、程名振らを高句麗に侵攻させた。契苾何力は鴨緑江で淵蓋蘇文の長男の淵男生を破った。唐軍は平壌城を包囲したが、淵蓋蘇文が蛇水の戦い中国語版で龐孝泰の軍を破り龐孝泰を敗死させた。残る唐軍も補給が続かない状況のため撤退した。

第3次侵攻(667 - 668年)[編集]

665年に淵蓋蘇文が死ぬと、淵男生が後を継いだが、弟の淵男建、淵男産との間に内紛が生じ、淵男生は唐に投降してしまった。この機に乗じて、唐軍は淵男生を先頭にして、李勣などが高句麗に侵攻した。淵蓋蘇文の弟である淵浄土は新羅に投降した。668年には、唐軍により首都の平壌城が陥落し、高句麗は滅亡した。

影響[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 尾形勇「東アジアの世界帝国」講談社,1985年,257頁,273頁
  2. ^ 井上秀雄『古代朝鮮』講談社学術文庫,2004、pp.210-218.
  3. ^ 礪波護『世界の歴史6 隋唐帝国と古代朝鮮』中央公論社,1997年、440頁
  4. ^ 尾形勇「東アジアの世界帝国」講談社,1985年,257頁
  5. ^ 礪波護『世界の歴史6 隋唐帝国と古代朝鮮』中央公論社,1997年、pp.365-366,p442
  6. ^ 尾形勇「東アジアの世界帝国」講談社,1985年,p273.
  7. ^ 「日本史年表・地図」吉川弘文館2007年第13版
  8. ^ 「世界史年表・地図」吉川弘文館2007年第13版
  9. ^ 井上秀雄『古代朝鮮』講談社学術文庫,2004,p219
  10. ^ 여당전쟁韓国民族文化大百科
  11. ^ 여·당전쟁야후!百科事典[リンク切れ]

関連項目[編集]