古川哲雄

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古川 哲雄(ふるかわ てつお、1934年 - )は、日本の医師医学者。専門は神経内科学

経歴[編集]

1934年、兵庫県伊丹市に生まれる[1]。滋賀県日野町立小、中学校卒、京都同志社高校卒。

1961年、東京大学医学部医学科を卒業する[1]。1962年、東京大学医学部第3内科に入る[1]。1967年、医学博士号を取得する[2]。1968年、東京大学医学部脳研神経内科に入る[1]。1969年から1971年、および1977年、ロサンゼルスのカリフォルニア大学に留学する[1]。1975年から80年にかけて東京女子医科大学神経内科非常勤講師を併任していた[1]。1978年、日本赤十字社医療センター神経内科部長となる[1]。1980年から2002年まで、東京医科歯科大学医学部神経内科助教授、保健衛生学科教授を務める[2]。2000年から2013年まで、千葉西総合病院顧問を務める[1]専門学校東京医療学院講師[1]。「伴性遺伝性筋ジストロフィー」、「顔面肩甲上腕型筋萎縮症」(Facioscapulohumeral muscular dystrophy)の研究、神経症候学についての臨床研究を行っている[2]

脳死・臓器移植問題[編集]

2000年に「脳死を人の死」とすることに否定的な市民団体や国会議員が開催した「市民と衆参両院議員の共催によるシンポジウム 臓器移植法成立から3年・いま改めて脳死と臓器移植を問う」にシンポジストとして参加している[3][4]。「脳死者に本当に意識はないのか」ということを研究しており[5]、「脳死患者に意識がある」と主張している[6]。「脳死ドナーには意識が残っている場合があり、それは閉じ込め症候群である」と考えている。

2011年2月20日、フジテレビの番組「奇跡体験!アンビリバボー」に出演し、脳死判定された患者について「上行性網様体という脳幹の一部が残っていると意識は残っている」と述べた[7]

単著[編集]

  • 『伴性遺伝性筋ジストロフィー』(神経精神疾患モノグラフシリーズ3)星和書店、1983年
  • 『顔面肩甲上腕型筋萎縮症』(神経精神疾患モノグラフシリーズ14)星和書店、1985年
  • 『ヤヌスの顔 神経内科臨床ノート』(神経内科叢書)科学評論社、1989年
  • 『ヤヌスの顔 続 背面思考の神経内科学』(神経内科叢書)科学評論社、1992年
  • 『ヤヌスの顔 続々 人間学としての神経内科学』(神経内科叢書)科学評論社、1995年
  • 『ヤヌスの顔 第4集 異端の神経内科学』(神経内科叢書)科学評論社、1999年
  • 『ヤヌスの顔 第5集 現象学的神経内科学』(神経内科叢書)科学評論社、2005年
  • 『天才の病態生理――片頭痛・てんかん・天才』医学評論社、2008年
  • 『ヤヌスの顔 第6集 反時代的神経内科学』(神経内科叢書)科学評論社、2009年 
  • 『ヤヌスの顔 第7集 学際的神経内科学』(神経内科叢書)科学評論社、2016年
  • 『ヤヌスの顔 第8集 拾遺神経内科学』 (神経内科叢書) 科学評論社、2022年

共編著[編集]

  • 三苫博共著『神経内科』(クリニカルアイ)医学評論社、2002年、改訂第2版2007年

寄稿[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 『ヤヌスの顔 第7集 学際的神経内科学』2016年、著者紹介
  2. ^ a b c 『神経内科』2002年、著者紹介
  3. ^ 「脳死と臓器移植」についてのシンポジウムのお知らせ. 森岡正博が管理するサイト.
  4. ^ 臓器移植 /脳死. arsvi.com.
  5. ^ 小松、pp.90-91.
  6. ^ 奥谷、pp.120.
  7. ^ ビートたけしPresents奇跡体験!アンビリバボー. 宗教情報センター

参考文献[編集]

  • 奥谷浩一「我が国における脳死・臓器移植の現在とその新たな法改正案の問題点」『札幌学院大学人文学会紀要』78、2005年11月18日、pp.101-167.
  • 小松美彦『脳死・臓器移植の本当の話』PHP研究所PHP新書〉、2004年