出雲大社境内遺跡
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本稿では、出雲大社境内遺跡(いずもたいしゃけいだいいせき)について解説する。
神話に登場する出雲大社は国譲り神話のなかで『古事記』、『日本書紀』、そして『出雲国風土記』に記載があり、古墳時代以前から現在の場所(島根県大社町杵築)あたりに神殿が造営されてきた。存在が確認されたのは、日本書紀の中の記述から、文献の初出時点ですでに巨大な神殿が造営されていた事が確認できる。以下、記紀より抜粋。
- この葦原の中つ国は、命のままにすでに献りぬ。ただ僕(あ)が住所(すまひ)は、天つ神の御子の日継ぎ知らしめさぬ、富足る天の御巣のごと、底つ石根に宮柱太しり、高天原に氷木高しりて治めたまわば、僕は百足らず八十摑手(やそくまで)に隠れ侍いなむ。『古事記』
- 汝(あ)は天日隅宮に住むべし、今まさにつくりまつらむ、すなわち千尋の拷縄(たくなわ)を以て結いて百八十紐にせむ。其の宮を作る制は、柱は高く太く、板はすなわち広く厚くせん。またみ田つくらむ、また汝がかよいて海に遊ぶ具のために、高橋、浮橋および天鳥舟またつくらむ。『日本書紀』
このように堂々とした大建築物であったことが推察できる。出雲大社以外の建築物に関しては記紀神話には一切の記述がない事から、壮大な建築物が現存していた事を証明するひとつの傍証になる。
[編集] 参考文献および資料
- 古代を考える:上田正昭 吉川弘文館
- 古代出雲を歩く:前島己基 山陰中央新報社