伊号第一三潜水艦

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艦歴
計画 昭和17年度計画(マル追計画
起工 1943年2月4日
進水 1943年11月30日
就役 1944年12月16日
その後 1945年7月16日戦没
除籍 1945年9月15日
性能諸元
排水量 基準:2,620トン 常備:3,603トン
水中:4,762トン
全長 113.70m
全幅 11.70m
吃水 5.89m
機関 艦本式22号10型ディーゼル2基2軸
水上:4,400馬力
水中:600馬力
速力 水上:16.7kt
水中:5.5kt
航続距離 水上:16ktで21,000海里(38,892km)
水中:3ktで60海里(111km)
燃料 重油:搭載量不明
乗員 108名
兵装 40口径14cm単装砲1門
25mm3連装機銃2基
同単装1挺
53cm魚雷発射管 艦首6門
魚雷12本
航空機 特殊攻撃機『晴嵐』 2機
(四式一号一〇型射出機 1基)
備考 安全潜航深度:100m 

伊号第一三潜水艦(いごうだい13せんすいかん)は、大日本帝国海軍伊一三型潜水艦の一番艦。

艦歴[編集]

1943年2月4日川崎重工業神戸造船所で起工、11月30日進水、1944年12月16日に竣工、艦長大橋勝夫大佐着任、呉鎮守府籍、第六艦隊付属に編入、神戸発呉へ。その後は呉にて搭乗員の訓練などに従事。5月28、29に鎮海入港、燃料補給。7月4日彩雲2機を大湊にて搭載、同月11日大湊発トラック島へ向け出港。本来の晴嵐搭載の任務ではなく、トラックへの輸送作戦だった。出港後、マリアナ東方海面を南下して、7月20日頃トラック入港の予定だったが、8月1日までにトラックへ入港しないことから喪失と認定された。米側記録によると7月16日に米護衛空母「アンツィオ」(アンジオ)の艦載機および米護衛駆逐艦ローレンス・C・テイラー英語版」の攻撃により小笠原北東方の北緯34度28分、東経150度55分(米軍記録より)の海中で撃沈された。9月15日に除籍。艦長以下140名が戦死認定。

歴代艦長[編集]

艤装員長[編集]

艦長[編集]

  • 大橋勝夫 中佐:1944年12月16日 - 1945年7月16日戦死

参考文献[編集]

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0462-8
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1246-9