五十嵐一生

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いがらし いっせい

五十嵐 一生
生誕 (1965-01-17) 1965年1月17日(59歳)
日本の旗 日本北海道紋別郡丸瀬布町 現・遠軽町
出身校 国立音楽大学 1985年〜(中退)
活動期間 1985年〜
受賞 1995年スイングジャーナル誌選定ゴールドディスク受賞
公式サイト https://ameblo.jp/ii1965/
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五十嵐 一生(いがらし いっせい、1965年1月17日)は、日本を代表するジャズトランペット奏者作曲家編曲家である。

生い立ち[編集]

1965年1月17日、北海道 旧紋別郡丸瀬布町 (現在の遠軽町)に、父親は 五十嵐喜代志 母親は 茂子 との息子・長男として生まれる。幼少の頃、即興で歌を作り適当に歌い始めたことから、母親は音楽教室に通わせるが、本人は全く興味を示さなかった。その後、北見市に移住。ピアノ個人レッスンを受けるようになる。しかし、練習意欲がないため小学校5年生でレッスンを受けることを断念する。同じ時期に興味を示したものは、リコーダー、横笛、クラリネットだったが、ある日、北見市立西小学校の音楽室の戸棚にあるトランペットを手にし、初めて吹いてみると音が鳴ってしまった(本人談)ことにより、トランペットを吹き始める。その後、トランペットの指使いなどは独学で習得。同時期にゲルマニウム・ラジオのキットを購入し深夜放送を聴き始める。パックインミュージックを毎晩聴いていたが、パーソナリティ声優白石冬美と後に出会い大親友となる。

デビュー[編集]

1985年に国立音楽大学に入学。合格するまでに二浪。武蔵野音楽学院尚美高等音楽学院で、音大受験を学ぶ。当時通っていたソルフェージュのレッスンでNewTideジャズオーケストラ初代の作編曲家・近藤和明と出会う。その出会いによって、ピットインなどのジャムセッションに出入りすることとなる。その後まもなく新宿ピットインにて、中村誠一のザ・サーチでデビュー。同時に日野元彦に認められ、本格的にジャズ界に進出。

経歴[編集]

1985年に国立音楽大学入学するが4年間在籍で中退。 NewTideジャズオーケストラ[1]在籍時、第19回 山野ビッグバンドコンテスト[2]で優秀ソリスト賞を受賞。

ディスコグラフィー[編集]

アーティスト画像 撮影・写真家 蓮井幹夫
  • Deep Blue Rain(TFCC-88401、1993年12月21発売)。
  • camel(1994)
  • GOLDEN LIPS(1995.8.2) - スイングジャーナル誌選定ゴールドディスク[3]
  • TOKYO MOON (1996)[4]
  • 真夜中まで(公開2001年8月4日)[5]
  • SUMMER´S ALMOST GONE(1997)
  • I Wish I knew(2016)
  • Ballads of a sullen horn man[6](2017)

出典[編集]

外部リンク[編集]