中村稔 (ゴルファー)

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 中村 稔 
Minoru NAKAMURA
基本情報
名前 中村 稔
生年月日 (1947-10-01) 1947年10月1日(76歳)
身長 174 cm (5 ft 9 in)
体重 73 kg (161 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県
経歴
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中村 稔(なかむら みのる、1947年10月1日 - )は静岡県出身の元プロゴルファー

富士箱根カントリークラブ所属[1]

来歴[編集]

伊東商業高校卒業[2]で、同校の後輩には土山録志[3]岩下吉久[4]坂下定夫[5]がいる。

中村は1969年にプロテストで合格し[1]1976年ゴルフダイジェストトーナメントでは2日目に何明忠(中華民国)・中嶋常幸宮本省三島田幸作鈴木規夫中村通橘田規田中文雄許渓山(中華民国)と8位タイ[6]に着け、3日目には3アンダーで中嶋・金海繁と並ぶ[7]

1978年の山梨プロアマで初優勝[2]を果たすと、1979年関東プロ[8]では初日に5アンダー67で尾崎将司と並ぶ首位タイでスタートする[9]

1983年の武富士サイパンでは初日に首位内田繁と1打差の2位[10]でスタートし、最終日には磯崎功尾崎直道湯原信光上原宏一高橋勝成出口栄太郎中川泰一杉田勇と並んでの6位タイ[11]に入った。

1984年群馬オープンでは初日に岩下吉久に次ぐと同時に大町昭義海老原清治を抑え、森憲二と並んでの2位タイでスタートし[12]、最終日には新井規矩雄・大町に次ぐと同時に泉川ピート川田時志春・岩下・土山・森と並んでの4位タイに入った[13]

1986年KSB瀬戸内海オープンでは初日に5アンダー67で単独首位に立ち[14]、中川・宮本康弘秋富由利夫杉原輝雄甲斐俊光佐野修一泉川ピート中尾豊健を抑えて優勝[15] [2]。連覇を狙った1987年の同大会では秋富、マイク・ハーウッドオーストラリア)と並んで高橋勝の2位タイ[16] [17]に入った。

1996年フジサンケイクラシック[18]を最後にレギュラーツアー、2000年日本プロシニア[2]を最後にシニアツアーから引退したが、2000年の北海道シニアオープンでは井上久雄須貝昇と並ぶ7位タイ[19]に入った。

主な優勝[編集]

  • 1978年 - 山梨プロアマ
  • 1986年 - KSB瀬戸内海オープン

脚注[編集]

  1. ^ a b 研修生募集 - 富士箱根カントリークラブ
  2. ^ a b c d PGA会員詳細 - 公益社団法人 日本プロゴルフ協会
  3. ^ 土山 録志 - PGA会員詳細 - 公益社団法人 日本プロゴルフ協会
  4. ^ 岩下 吉久 イワシタ ヨシヒサ YOSHIHISA IWASHITA
  5. ^ 2003年シニア選手紹介
  6. ^ 朝日新聞縮刷版p745 昭和51年10月23日朝刊17面「内田が首位に ダイジェスト・ゴルフ
  7. ^ 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】東名カントリークラブ。中嶋常幸、4日間ツアー競技初優勝。1976年ゴルフダイジェストトーナメント
  8. ^ 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】東筑波カントリークラブ。青木功は変わった。「忍耐」そして「挑戦」へ。1979年関東プロ
  9. ^ 朝日新聞縮刷版p1083 昭和54年6月29日朝刊17面「尾崎将と中村稔リード 関東プロゴルフ初日
  10. ^ 毎日新聞縮刷版p442 昭和58年3月13日朝刊18面「内田繁、首位に立つ サイパン・ゴルフ第1日
  11. ^ 毎日新聞縮刷版p466 昭和58年3月14日朝刊18面「プレーオフで青木基が優勝 サイパン・ゴルフ
  12. ^ 朝日新聞縮刷版p306 昭和59年7月8日朝刊16面
  13. ^ 朝日新聞縮刷版p340 昭和59年7月9日朝刊18面
  14. ^ 朝日新聞縮刷版p993 昭和61年3月30日朝刊19面「中村稔が単独首位に 瀬戸内海オープン
  15. ^ 朝日新聞縮刷版p1266 昭和61年3月31日朝刊18面
  16. ^ 朝日新聞縮刷版p1243 昭和62年3月30日朝刊23面
  17. ^ McCormack, Mark H. (1988). Ebel World of Professional Golf 1988. Collins Willow. pp. 252, 464. ISBN 0002182831 
  18. ^ 中村 稔選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  19. ^ 第4回北海道シニアオープン

外部リンク[編集]