ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件

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ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件Rafle du Vélodrome d'Hiver1942年7月16日17日)、または、その略称であるヴェル・ディヴ事件Rafle du Vél' d'Hiv)は、第二次世界大戦下、ナチス・ドイツの占領下にあったフランスで行われた最大のユダヤ人大量検挙事件である。本質的には外国から避難してきた無国籍のユダヤ人を検挙するためのものだったとされる。1942年の7月、ナチスはヨーロッパ各国でユダヤ人を大量検挙することを目的とした「春の風」作戦を計画した。フランスにおいては、ヴィシー政権がフランス警察を動かし作戦を実行した。パリで9000人にも及ぶ警察官と憲兵が動員された。警察庁の記録によれば、7月17日の終わりには、パリと郊外での検挙者数は1万3152人で、そのうち4115人が子供だった。

ヴェル・ディヴ跡地にある慰霊碑

なお、ヴェロドローム・ディヴェール(Vélodrome d'Hiver)とは冬期競輪場英語版のことで、最初、検挙されたユダヤ人達はここに閉じ込められ、その後、アウシュビッツを初めとする東欧各地の絶滅収容所へと送られた。収容所生活の中で、終戦までに生き延びたのは100人に満たない大人のみで、子供は生き残らなかったという[1]


映像化作品[編集]

参照[編集]

  1. ^ 若者の大半がヴェル・ディヴを知らない, Nouvel Observateur, 2012/7/16