サラの鍵

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サラの鍵
Elle s'appelait Sarah
監督 ジル・パケ=ブランネール
脚本 ジル・パケ=ブランネール
セルジュ・ジョンクール
原作 タチアナ・ド・ロネ
製作 ステファーヌ・マルシル
製作総指揮 ガエタン・ルソー
出演者 クリスティン・スコット・トーマス
音楽 マックス・リヒター
撮影 パスカル・リダオ
編集 エルヴェ・シュネイ
製作会社 ヒューゴ・プロダクションズ
Studio 37
TF1 Droits Audiovisuels
フランス2シネマ
Canal+
TPS Star
フランス・テレビジョン
配給 フランスの旗 UGC Distribution
日本の旗 ギャガ
公開 フランスの旗 2010年10月13日
日本の旗 2011年12月17日
上映時間 111分
製作国 フランスの旗 フランス
言語 フランス語
英語
ドイツ語
イタリア語
製作費 €10,000,000[1]
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サラの鍵』(さらのかぎ、原題: Elle s'appelait Sarah : Sarah's Key)は、2006年に出版されたタチアナ・ド・ロネフランス語版の小説、及び、これを原作とした2010年に公開されたフランスの映画

ストーリー[編集]

夫と娘と共にパリで暮らすアメリカ人女性ジャーナリストのジュリアは45歳で待望の2人目の妊娠を果たすが、報告した夫ベルトランから思わぬ反対を受け人生の岐路に立たされる。そんな中、夫の両親から譲り受けて住むことになった古いアパートのかつての住人が1942年ヴィシー政権によるヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件で検挙されたユダヤ人で、その内の10歳の娘・サラが収容所から脱走していたことを知ったジュリアはサラの足跡を取材することを決める。

1942年7月の一斉検挙の朝、すぐに戻れると思っていたサラは弟ミシェルを納戸に隠して鍵をかけた。しかし、彼女は両親と共に検挙され、納戸の鍵を持ったまま収容所に送られた。サラは納戸の鍵を開け弟を助け出すべく脱走を図る。共に脱走した少女が途中で病に倒れて亡くなるものの、親切なデュフォール夫妻に助けられたサラは、夫妻の孫「息子」を装って共にパリに向かう。ところがサラが住んでいた部屋には既にテザック家が暮らしていた。そして強引に部屋に上がり込み、納戸の鍵を開けたサラが見たのは弟ミシェルの無惨な姿であった。ミシェルの遺体はデュフォール夫妻が引き取り、テザック家の主人とその幼い息子エドゥアルドの2人はこの事実を家族にも隠すことにする。エドゥアルドはサラのその後について何も知らされていなかったが、父はその後もデュフォール夫妻が引き取ったサラに毎月金を送り、一方、デュフォール夫妻はサラの近況を手紙で伝えていたのだ。しかし、デュフォール夫妻の孫娘として育てられたサラは、成長したある日、デュフォール家の人々に何も告げずに家を出て行ってしまう。

デュフォール夫妻の孫息子でサラと兄弟同然に育ったニコラの娘と連絡の取れたジュリアは、サラがその後、ニューヨークに渡り、結婚したことを知る。堕胎を取りやめ、ニューヨークに向かったジュリアはサラが既に40年も前に交通事故で亡くなっていたことを知る。しかし、1人息子ウィリアムが妻子と共にイタリアで暮らしていることを知ると、早速ウィリアムに会いに行く。しかし、サラの話をしようとしたジュリアに対し、母サラがユダヤ人であったことも過去の悲劇も何も知らされていなかったウィリアムは、サラに関する話を聞くことを頑に拒む。ジュリアは自分の傲慢さを思い知らされる。そしてパリに戻ったジュリアは夫の意志に反し、堕胎せずに生むことを決める。一方ウィリアムは死期の近い父から、母が事故で死んだのではなく、酷い鬱病を患って自殺した事実と彼女の過去の悲劇をはじめて知らされる。そしてサラの遺品である日記を受け取る。

それから2年後、娘を生んだジュリアは夫と別れ、ニューヨークで2人の娘と暮らしていた。そこにウィリアムから会いたいとの連絡が来る。ウィリアムは死後40年経って初めて母サラの本当の姿を知ることができたこと、そして、そのことで父が穏やかに死を迎えることができたことを報告する。ジュリアは2年前のイタリアでウィリアムに初めて会った際の自分の傲慢さを詫びる。2人は打ち解け合い、ウィリアムは改めてジュリアが生んだ2人目の娘の名前を尋ねる。ジュリアは「サラ」と答える。ウィリアムは感極まって涙する。

キャスト[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ Elle s'appelait Sarah (2010) - Box office / business” (英語). IMDb. 2013年7月3日閲覧。

外部リンク[編集]