ヴィック=ル=コント

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Vic-le-Comte

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
(département) ピュイ=ド=ドーム県
(arrondissement) クレルモン=フェラン郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 63457
郵便番号 63270
市長任期 ロラン・ブランシェ
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Allier Comté Communauté
人口動態
人口 4910人
2012年
人口密度 271人/km2
地理
座標 北緯45度38分38秒 東経3度14分48秒 / 北緯45.6438888888889度 東経3.24666666666667度 / 45.6438888888889; 3.24666666666667座標: 北緯45度38分38秒 東経3度14分48秒 / 北緯45.6438888888889度 東経3.24666666666667度 / 45.6438888888889; 3.24666666666667
標高 平均:m
最低:331m
最高:806m
面積 18.09km2
Vic-le-Comteの位置(フランス内)
Vic-le-Comte
Vic-le-Comte
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ヴィック=ル=コントVic-le-Comte)は、フランスオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏ピュイ=ド=ドーム県コミューン

地理[編集]

ヴィック=ル=コントは、国立アリエ川谷自然保護区(fr)の中にある。クレルモン=フェランの南東19.6kmの距離にある。直線距離ではイソワールの北11.1kmのところにある。面積の一部はコンテの森で覆われている。

歴史[編集]

かつてのオーヴェルニュ伯領の本拠地であった。

フランス革命後の国民公会時代、コミューンはヴィック=シュル=アリエ(Vic-sur-Allier)と呼ばれていた[1][2]

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
2433 2627 3130 3755 4155 4404 4583 4910

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[1]、2004年以降INSEE[3][4]

史跡[編集]

オーヴェルニュ伯領時代の興味深い歴史的建造物が残っている[5] · [6]。伯爵の城は要塞化された入り口の扉が残っている。

  • サン・ピエール教会 - サント・シャペルの名で知られている。現在は教区教会である。サント・シャペルはかつて、オーヴェルニュ伯の城に属する礼拝堂で、1505年にオールバニ公ジョン・ステュアート(スコットランドジェームズ2世の孫)がオーヴェルニュ伯アンヌと結婚してから建設が始まった。サント・シャペルはパリのサント・シャペルの原型設計図を元にしており、4つの側廊を備えた身廊をもつ。聖ジャン・バティストおよび聖冠の2つに献堂されている。この建物はオーヴェルニュにおけるルネサンスの最高作品の1つである。
  • サン・ジャン・バティスト教会 - 13世紀[7]
  • ヴュー・マルシェ広場の泉[8]
  • 中世からある木造の住宅[9]

ゆかりの人物[編集]

  • ジャン・バティスト・バルゴワン(fr) - カフェ経営で成功後、慈善活動家となる。クレルモン=フェランのバルゴワン博物館の後援者。

脚注[編集]

  1. ^ a b http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=39767
  2. ^ Décret des 25-26 octobre 1792 qui change le nom de la commune de Vic-le-Comte en celui de Vic-sur-Allier.
  3. ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
  4. ^ http://www.insee.fr
  5. ^ "Monuments historiques de Vic-le-Comte". base Mérimée, ministère français de la Culture. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  6. ^ François Deshoulières, Vic-le-Comte, p. 101-111, dans Congrès archéologique de France. 137 session. Clermont-Ferrand. 1924, Société Française d'Archéologie, Paris, 1925
  7. ^ http://www.culture.gouv.fr/public/mistral/merimee_fr?ACTION=CHERCHER&FIELD_1=REF&VALUE_1=PA00092461
  8. ^ http://www.culture.gouv.fr/public/mistral/merimee_fr?ACTION=CHERCHER&FIELD_1=REF&VALUE_1=PA00092462
  9. ^ Pierre Garrigou Granchamp, L'architecture domestique du XIIe au XIVe siècle dans les agglomérations du Puy-de-Dôme. État des questions, p. 241-278, dans Congrès archéologique de France. 158 session. Monuments en Basse Auvergne Grande Limagne. 2000, Société Française d'Archéologie, Paris, 2003