アンヌ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ

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オーヴェルニュ女伯アンヌ

アンヌ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュAnne de La Tour d'Auvergne, 1496年 - 1524年)は、フランスの貴族女性。オーヴェルニュ女伯およびロラゲ女伯(1501年 - 1524年)。スコットランド貴族(王族)の第2代オールバニ公爵ジョン・ステュアート英語版の妻となった。

オーヴェルニュ伯ジャン3世とその妻でヴァンドーム伯ジャン8世の娘であるジャンヌ・ド・ブルボンの間の長女として生まれた[1]。両親に男子の世継ぎがないことから、1501年に幼くして伯爵家を継いだ。1505年7月13日、当時はフランスで亡命生活を送っていたオールバニ公ジョンと結婚した[2]。公爵夫妻は従兄妹同士で、ジョンは1514年にスコットランド王国摂政に就任した。アンヌは夫との間に子供を儲けずに死去したため、妹マドレーヌの一人娘カトリーヌ・ド・メディシスがオーヴェルニュ伯領を相続した。

脚注[編集]

  1. ^ Miroslav Marek (2003年10月15日). “Anne de La Tour d'Auvergne(de La Tour2:D1)”. genealogy.euweb.. 2012年10月17日閲覧。
  2. ^ Stuart, Marie W., The Scot who was a Frenchman, the Life of John Stewart Duke of Albany, William Hodge (1940), 22.