レトゥーン (駆逐艦)

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レトゥーン
Летун
レトゥーン
艦歴
起工 1914年11月 ウスチ=イジョールスカヤ・ヴェールフィ
進水 1915年10月25日
竣工 1916年5月25日
所属 ロシア帝国海軍バルト艦隊
転属 臨時政府黒海艦隊(1917年 - )
赤色バルト艦隊(同年10月26日 - )
退役 1922年5月31日
解体 1927年9月25日
要目
艦種 駆逐艦
艦級 オルフェイ級
排水量 1260 t
全長 98.0 m
全幅 9.34 m
喫水 2.93 m
機関 ケルティスAEGヴルカン式蒸気タービン機関 2 基 30000 馬力
ヴルカンボイラー 4 缶
スクリュー 2 軸
速力 35 kn
航続距離 1680 nm/21 kn
560 nm/35 kn
乗員 士官 8 名
水兵 142 名
武装 60口径102 mm単装 4 基
40 mm単装高角砲 1 基
7.62 mm機銃 2 挺
456 mm3連装魚雷発射管 3 基
機雷 30 個

レトゥーン(ロシア語:Летунリトゥーン)は、ロシア帝国で建造された駆逐艦(Эскадренный миноносец)である。艦名は「巧みに飛ぶ鳥」のこと。

概要[編集]

レトゥーンは、1913年から1917年に推進された「強化」建艦計画枠でバルト艦隊向けに発注されたオルフェイ級駆逐艦の6番艦であった。1913年9月28日にバルト艦隊へ登録、1914年11月にサンクトペテルブルクウスチ=イジョールスカヤ・ヴェールフィ金属工場で起工、1915年10月25日には進水1916年5月25日付けでバルト艦隊水雷分艦隊第2水雷小艦隊に配備された。

1916年10月には、敵連絡路への機雷敷設を実施した。10月12日には、ヴルフ島にて触雷し、破損した。艦尾が損傷し、スクリューおよび操舵部分が破壊された。当初レヴェリへ曳航され、のちヘルシンキへ修理のため回航された。

二月革命後は臨時政府に接収され、十月革命後の1917年10月26日にはボリシェヴィキ赤色バルト艦隊に編入された。1918年4月にはフィンランド内戦赤軍が破れ、ブレスト=リトフスク条約に従ってフィンランドからの撤収が開始された。ヘルシンキにあったレトゥーンは4月10日から16日にかけてクロンシュタットへ向けて曳航され、のちペトログラート軍港に回航された。そして、そこで長期間保管状態に置かれた。

結局、レトゥーンの艦隊への復帰はならなかった。1922年5月31日付けで武装解除の上艦隊を除籍され、1927年9月25日には「コムゴスフォンドフ」へ解体のため引き渡された。

外部リンク[編集]