ヨハン・ヨンキント
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| ヨハン・ヨンキント Johan Jongkind |
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| 本名 | Johan Barthold Jongkind |
| 生誕 | 1819年6月3日 |
| 死去 | 1891年2月29日(71歳) |
| 国籍 | |
| 分野 | 絵画、版画 |
ヨハン・バルトルト・ヨンキント(Johan Barthold Jongkind, 1819年6月3日 - 1891年2月9日)は、オランダの画家、版画家。クロード・モネに影響を及ぼした印象主義の先駆者とみなされる。
生涯 [編集]
ヨンキントは、オランダとドイツの国境近くのオーファーアイセル州ラートロープで生まれた。彼はハーグの芸術アカデミーで学び、1846年にパリのモンマルトル地区に移り住み、ユージーン・イサベイとフランソワ=エドゥアルト・ピコットに師事した。
2年後、パリ・サロンは展示会に彼の作品を受け付けた。彼はシャルル・ボードレールやエミール・ゾラから称賛を浴びた。しかしながらアルコール依存症とうつ病から彼の評価は上下した。
ヨンキントは1855年にロッテルダムに帰り、1860年まで同所で暮らした。1861年にパリに戻り、モンパルナスのrue de Chevreuseでスタジオを借り、印象主義の先駆けとも言える作品を創り出した。
1862年にはクロード・モネを助け、モネは後にヨンキントを「師匠」と呼んだ。翌年ヨンキントは第一回落選展に出品した。いくつかの成功にもかかわらず、ヨンキントの不振の期間の作品を理由に、印象派のグループは1874年の最初の展示会に彼の作品を受理しなかった。
1878年、彼は妻の画家ヨセフィン・フェッサーと共にフランス南東のグルノーブルに近いラ・コート=サン=タンドレに移り住み、1891年に同所で死去した。彼は同地の墓地に埋葬された。