ヨハン・フェスリンク

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解剖書Syntagma anatomicumの図

ヨハン・フェスリンク(Johann Vesling、ラテン語名:Veslingius、1598年1649年8月30日)は、ドイツ神聖ローマ帝国)生まれで、イタリアで働いた解剖学者植物学者である。フェスリンクの解剖書は江戸に伝わり、山脇東洋の蔵書となり、『解体新書』の刊行に際して参考とされた『ヘスリンキース解体書』として知られる[1]

ドイツのミンデンに生まれた。幼いときに家族とともにヴェネツィアへ移り、ヴェネツィアで医学を学び 、ヴェネツィア大学解剖の執刀者として採用された。ヴェネツィア領事の個人医師として​​エジプトエルサレムに赴き、中東薬用植物などの研究を行った。1632年にパドヴァ大学で解剖学、外科の教授となった。弟子にトーマス・バルトリンがいる。1637年にアルピノ・アルピーニが没すると後を継いで、パドヴァ大学の植物園の園長に任じられた。

1641年に解剖書、Syntagma anatomicum, publicis dissectionibus, in auditorum usum, diligenter aptatum を出版し、これは一般的な教科書となった。著書の中で、リンパ系について論じた。血液循環の研究を行い、大脳動脈輪についてを最初に記述した医師の1人である。

参考文献・外部リンク[編集]

  1. ^ *日本語の記事 PDF