淫蕩

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淫蕩(いんとう)とは、不特定多数の異性と性的関係を持つなどして生活が乱れること。あるいはそのさまを指す言葉。

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[編集] 概要

日本では本来性に関してはかなりおおらかであった。貴族や武士などには、家存続の目的から相応の性道徳が求められたものの、それは一神教の文化圏のように、宗教的な影響によるものではなかった。日本は、キリスト教文化圏のように結婚前の性行為を厳しく禁じるようなことはなかったし、日本の家族制度は中国・韓国とは異なり儒教道徳の影響が比較的薄かった。また日本の家族制度も、養子縁組が盛んに行われるなど血統には必ずしも重きをおかれず、父系の血統存続を最重視していた中国・韓国とはその性質を異にする。

平安時代の上流貴族では、一夫多妻制の上に招婿婚という婚姻制度もあり、淫蕩や姦通に対する抵抗感は薄かった。しかし、平安後期には下級貴族や武士の間で一夫一婦制が定着。鎌倉時代には、御成敗式目に不倫密懐に関する処罰が規定され(第34条)、不倫は所領半分没収の上職務罷免とされ、武家文化の中で厳しく処罰される端緒となった(一方、男色は武士階級における主従関係の価値観と結びつけられ、大いに流行した)。江戸時代の武士には儒教道徳が浸透し、特に女性に対し貞操が要求された。

江戸時代には遊郭などにおいて売春が公然と行われており、男性の中には花魁や茶屋女に入れあげて稼ぎを使い果たしたり、生活が荒む者も見られた。こうした様子を「色に溺れる」「女色に溺れる」などと表現し、淫蕩の代表とされた。また多くの場合は遊びの代表とされる飲む()、打つ(博打)、買う(買春)をひとまとめにしており、「酒色に溺れる」と表現した場合は酒と女で身を持ち崩したさまを言う。

一方で男性側のこうした遊びは男の甲斐性として考えられる傾向もあり、貞操重視の風潮も相まって、男性の遊びはしてよいもの、女性は(遊女以外は)貞淑であれ、とする考えが一部では存在していた。明治時代には姦通罪を定めた刑法が定められ、昭和にかけてこうした考えがしだいに庶民にまで浸透していった。

キリスト教ユダヤ教では姦淫は重罪であり、許されることではなかった(しかし、性道徳において本音と建前は往々にして乖離するものであり、時代や文化圏によってはこのような道徳は必ずしも守られなかった)。

イスラーム世界では女性の肌を見せることすら禁忌であるため、もちろん淫蕩は禁忌であるが、ハーレムの存在が誤解されて伝わりスルターンシークが多数の女性を性奴隷として囲うという誤ったイメージが生み出された。

[編集] 淫蕩の別称

多くの女性と関係を持つ男性を指していくつかの呼び名がある。

女性の淫蕩の場合は女性に貞淑を求めて来た背景から蔑称、差別的な侮蔑を含むものになることが多い。

[編集] 性感染症と淫蕩

1990年代以降、日本では乱れた性生活により性病罹患が懸念され、特にヒト免疫不全ウイルスHIV)感染が性交によって伝染しやすいという知識が普及するにつれ、必ずしもこのような用語に該当する人々が羨望を集めるとは限らないとされている。

性病罹患率は1990年代後半より、10代を中心に急激に増大する傾向もあり、10代に多く見られるだけに、彼らが人知れず性病に苦しんでいるケースも漏れ聞かれる。また性病の症状には性差があり、自覚症状の無いまま感染が拡大するケースがある。例えば淋病は男性には七転八倒の苦しみを与えるが、女性はあまり自覚症状が無いとされている。このようなケースでは、泌尿器科に掛かるのを恥ずかしがって苦しんだという話も流布される。この「武勇伝」も、このような用語を必ずしも尊称扱いさせない要因となっている。コンドームを使用せずに性交をして行えば、男性は淋病に罹患する危険性が高く、女性側も罹患する危険性がある。性交に奔放とされている彼らが性病の蔓延に一役買っているとも解釈されている。なお直接的な性交ではないオーラルセックスを行った後に、風邪に似た微熱・の痛みを訴えて病院に掛かったら、喉が淋病に侵されていたとするケースも報告されている。

[編集] 関連語