ミサイル・ギャップ論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ミサイル・ギャップ論争(ミサイル・ギャップろんそう)とは、1950年代後半に冷戦下のアメリカ合衆国で行われた軍事論争。単に「ミサイル・ギャップ」などと表記される場合もある。

概要[編集]

原子爆弾水素爆弾といった核兵器の大量保有を達成したアメリカであったが、その輸送手段は専ら戦略爆撃機などであった。ソビエト連邦が核開発に成功しても、その生産規模・輸送力においてアメリカは優位であると信じられていた。

だが、ソ連はかつてのナチス・ドイツミサイル技術を以って世界初の大陸間弾道ミサイル(ICBM)であるR-7(愛称「セミョールカ」、NATOコードネーム「サップウッド」)を開発する。1957年にはR-7系列のボストークによるスプートニク1号の打ち上げで、人類で初めて人工物体を地球で周回させる事に成功した。ソ連のニキータ・フルシチョフはミサイル戦略の対米優位を強調する。

アメリカにおいては、核技術での地位は揺らがないものの、ミサイル技術の遅れが命取りになるという論争が生まれた。アメリカはソ連に続く人工衛星エクスプローラー1号」の打ち上げを成功させ、大陸間弾道ミサイルを中心としたミサイル戦略を進める。だが、ソ連のミサイル配備がどれほどなものかがわからない状況で、不安が募るばかりであった。

不安は疑心暗鬼を呼び、アメリカ国内は反共色と右傾化が進み、ローゼンバーグ事件赤狩りのような魔女狩りにも似た暴挙まで起きた。また、「ソ連の核に対する予防戦争としての先制核攻撃の是非」さえもが公然と論じられた。

アメリカにおける大陸間弾道ミサイルの開発はソ連に追従する形になっており、アメリカ初のICBMである「アトラス」は1959年からの実戦配備開始となった。一方で当時「PGM-17 ソー(1958年実戦配備)」や「PGM-19 ジュピター」などの中距離弾道ミサイルしか保有しいていなかったアメリカは、このミサイルギャップを克服するためにソビエト近海の北極海から中距離弾道ミサイルを発射し、ソビエト国内の目標へ攻撃を行う「ポラリス計画」をスタートさせる。潜水艦発射弾道ミサイルと呼ばれることになるこのポラリスは、1960年に初めて潜水艦から発射テストが行われ、配備が進められる。

この論争は1960年代初頭、U-2偵察機によるソ連領空内の高高度偵察によって、ソ連のミサイル配備がアメリカの予想よりも遅れていることが明らかになると解消へと向かう。

関連項目[編集]