マット・マーフィー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
マット・マーフィー
マット・マーフィーの画像
プロフィール
リングネーム マット・マーフィー
ニックネーム オール・ザット(All That)
ザ・ミサイル
身長 180cm
体重 96kg
誕生日 1979年1月18日(35歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ミズーリ州カホカ
トレーナー ハーリー・レイス
本田多聞
デビュー 1999年
引退 2002年
テンプレートを表示

マット・マーフィー(Matt Murphy、1979年1月18日 - )は、アメリカ合衆国出身のプロレスラープロレス番組プロデューサーである。ミズーリ州カホカ出身。身長180センチメートル、体重96キログラム。プロレスラーとしては1999年9月24日デビュー、2002年12月8日引退。 アメリカではWLW(ワールド・リーグ・レスリング)、日本ではプロレスリング・ノアなどに参戦した。

ハーリー・レイス・レスリング・アカデミーの1期生で、WLW初期の主要メンバーである。

略歴[編集]

ハーリー・レイス・レスリング・アカデミーでプロレスの訓練をし、旗揚げ間もないレイス主宰のWLWに入門、1999年9月24日ノースカロライナ州トーマスビル大会でプロ・デビュー。当時は"ザ・ミサイル"の異名を持った[1][2]

その後、WWE(ワールド・レスリング・エンターテイメント)にも出場を経験。その他、米国各地のインディー大会に出場した[1]

その後、"オール・ザット"の異名を名乗り、スーパースター・スティーブとタッグチームを結成。WWEに登場し、海援隊ジャスティン・クレディブル等と抗争する[2]

2001年6月、プロレスリング・ノアへ初参戦・初来日。さらには、昭代GHCジュニアヘビー級王座決定トーナメントにエントリーされた[1][2]。しかし、一回戦で浅子覚に敗れ、王座奪取には至らなかった。

その後、IWA(インディペンデント・レスリング・アソシエーション)ミッドサウスにレギュラー参戦し、後にWLWに参戦するエース・スティールC.M.パンクB.J.ホイットマークリス・ヒーロー等と対戦した[2]

レッスル・アメリカ・インディー30に選ばれるなど活躍し、再び古巣WLWで3度目の世界タッグ王座に君臨していたが、2002年12月8日、自動車事故が原因で、プロレスを引退した。その後、自伝の執筆を経て、2007年にWLWのテレビ番組の責任者兼プロデューサーとしてWLWに再所属となった[2]

タイトル歴[編集]

得意技[編集]

入場テーマ曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c プロレスリング・ノア『Deperture 2001』公式パンフレット
  2. ^ a b c d e Matt Murphy: WLW Profile

参考文献・参考サイト[編集]

  • プロレスリング・ノア『Deperture 2001』公式パンフレット、2011年8月28日
  • Matt Murphy: WLW Profile2012年10月閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]