ベンジャミン・レイ

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ベンジャミン・レイ(Benjamin Lay、1681年 - 1760年)は、イギリス出身で後にアメリカ合衆国に移住したクエーカー教徒にして奴隷廃止論者

1681年にイギリスのコルチェスターで生まれた。1710年にバルバドスへ移住し、商売をはじめたが、彼が奴隷制度の廃止を激しく訴えたため、住人とのいさかいが増えていった。バルバドスは黒人奴隷貿易の中継点だったのである。アメリカ南部へのバルバドスを経由する奴隷貿易は後の時代まで続き、大きな産業となった。

結局彼はバルバドスを追い出され、アメリカ、ペンシルベニアアビントンに住居を定める。アビントンでの活動により、彼はアメリカ大陸で最も早い時期に、最も激しく奴隷制度を非難した男として知られている。

レイは、せいぜい4フィート前後の身長しかない小男で、腕と足の長さが変わらないほどの短足を持ち、極端な猫背であった。また菜食主義者であり、牛乳と水しか飲まなかった。当時一般的であった、お茶を飲む習慣を彼は攻撃している。

彼は生涯において、200以上のパンフレットを発行した。ほとんどが、奴隷制度反対に関するものであったが、そうでないものも存在する。そのほかの彼が非難した対象は死刑制度、牢獄制度、裕福なペンシルベニアのクエーカー教徒などであった。パンフレットの中で「横暴で偽善的で堕落した悪魔のようだ」と社会を非難し、可能な限り自給自足の暮らしを送った。ペンシルベニアの町外れの洞窟に住み、自分で服を作り、自分で食物を育てた。奴隷の手による、あるいは、動物の命を奪って作られる製品をすべて拒絶した。

彼のパンフレットをまとめて出版された、唯一の書籍が「ALL SLAVE-KEEPERS That keep the Innocent in Bondage,APOSTATES」である。出版、および編集したのはベンジャミン・フランクリン、彼は、レイと友人として付き合ったといわれている。

レイは1760年にアビントンで死んだ。彼の奴隷廃止への情熱は、後世のクエーカー教徒に大きな影響を与えた。レイと同時代を生きたクエーカー教徒には、黒人のための教室を開いたアンソニー・ベネジットや、地主たちを説得して黒人奴隷を解放させたジョン・ウルマンらがいる。

19世紀初頭、クエーカー教徒の家庭において、レイの姿絵を飾っていることは珍しいことではなかった。レイはアビントン友愛会の墓地に埋葬された。