ヘルマン・アマンドゥス・シュワルツ

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ヘルマン・アマンドゥス・シュワルツ
人物情報
生誕 1843年1月25日
プロイセン王国の旗 プロイセン王国 シレジア州英語版 ヘルムスドルフ(現:イェジュマノヴァ英語版
死没 1921年11月30日(満78歳没)
ドイツの旗 ドイツ国 ベルリン
出身校 ベルリン工科大学
学問
研究分野 数学
研究機関 マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク
チューリッヒ工科大学
ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン
博士課程
指導教員
カール・ワイエルシュトラス
エルンスト・クンマー
博士課程
指導学生
ローベルト・レーマク
エルンスト・ツェルメロ
主な業績 コーシー・シュワルツの不等式
プロジェクト:人物伝
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カール・ヘルマン・アマンドゥス・シュワルツKarl Hermann Amandus Schwarz1843年1月25日 - 1921年11月30日)は、ドイツ数学者複素解析に関する業績で知られている。出身はシレジア地方のヘルムスドルフ(現在はポーランド領のイェジュマノヴァ)である。

シュワルツはハレゲッティンゲン、その後ベルリンに場所を移し、関数論微分幾何学変分法といった分野について研究を行った。彼は王立アカデミーのメンバーにもなった。彼の業績にはBestimmung einer speziellen Minimalfläche(『特殊な極小曲面の決定について』、1867年にベルリン・アカデミー賞を受賞し1871年に出版された)、Gesammelte mathematische Abhandlungen(『数学論文集』、1890年)などがある。彼はカール・ワイエルシュトラスのもとで学んだ。1892年にはベルリン大学の教授となり、リポート・フェイエールパウル・ケーベエルンスト・ツェルメロらを教育した。彼はベルリンで死去した。

関連項目[編集]