フリードリヒ・アウグスト2世 (ザクセン王)

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フリードリヒ・アウグスト2世
Friedrich August II
ザクセン王
Friedrich August II of Saxony.jpg
在位 1836年6月6日 - 1854年8月9日
全名 フリードリヒ・アウグストゥス・アルベルト・マリア・クレメンス・ヨーゼフ・ヴィンツェンツ・アロイス・ネポムク・ヨハン・バプティスタ・ニコラウス・ラファエル・ペーター・クサヴァー・フランツ・デ・パウラ・ヴェナンティウス・フェリックス・フォン・ザクセン
出生 1797年5月18日
Flag of Electoral Saxony.svg ザクセンピルニッツ
死去 1854年8月9日(満57歳没)
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国カッレーステン
埋葬  
ドイツの旗 ドイツザクセン州ドレスデンカトリック宮廷教会
配偶者 カロリーネ・フェルディナンデ・フォン・エスターライヒ
  マリア・アンナ・フォン・バイエルン
王家 ヴェッティン家アルブレヒト系
父親 マクシミリアン・フォン・ザクセン
母親 カロリーナ・ディ・ボルボーネ=パルマ
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フリードリヒ・アウグスト2世Friedrich August II., 1797年5月18日 - 1854年8月9日)は、ザクセン王国の第3代国王(在位:1836年 - 1854年)。ザクセン王太子マクシミリアン(1759年 - 1838年)の長男で、初代ザクセン王フリードリヒ・アウグスト1世、第2代ザクセン王アントンの甥。全名はFriedrich August Albert Maria Clemens Joseph Vincenz Aloys Nepomuk Johann Baptista Nikolaus Raphael Peter Xaver Franz de Paula Veneantius

1797年5月18日ピルニッツで、ザクセン選帝侯フリードリヒ・クリスティアンの五男マクシミリアンとその最初の妻であったパルマフェルディナンドの娘カロリーナの第三子として生まれた。

1819年9月26日にフリードリヒ・アウグストはオーストリア皇帝フランツ1世の皇女カロリーネ・フェルディナンデ(1801年 - 1832年)と結婚した。さらにカロリーネと死別した後の1833年4月24日バイエルンマクシミリアン1世の王女マリア・アンナと再婚した。しかし2人の妃との間に子供は生まれなかった。

1830年9月、フランスで起きた7月革命の影響でザクセンに革命騒乱が発生した際、父マクシミリアンから王太子の地位を譲られた。1831年に伯父のザクセン王アントンによって摂政に任命され、アントンが1836年に死去すると王位に即いた。フリードリヒ・アウグスト2世は憲法を制定するなど、はじめは自由主義的な姿勢をとったが、1848年革命(3月革命)が勃発すると態度を変え、1848年4月28日には議会を解散した。これは五月蜂起を招いたものの、暴動は速やかに鎮圧された。

フリードリヒ・アウグスト2世は、馬車事故による怪我が原因で1854年8月9日にカッレーステン(ティロル州イムスト郡)で死去した。王位は弟のヨハンが嗣いだ。

先代:
アントン
ザクセン
1836年 - 1854年
次代:
ヨハン