フランソワ・ドルレアン (ジョアンヴィル公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フランソワ・ドルレアン(フランス語全名:François-Ferdinand-Philippe-Louis-Marie d'Orléans, prince de Joinville、1818年8月14日 - 1900年6月16日)は、フランスの王族。ジョアンヴィル公。フランス海軍の提督を務めた。
フランス王ルイ・フィリップと妃マリー・アメリーの三男として、ヌイイ城で生まれた。海軍で学び、1836年に士官となった。1840年に艦長となり、セントヘレナ島からナポレオンの遺灰を母国へ持ち帰った。
1848年に2月革命で王政が廃止されると、一家でイギリスへ亡命。アメリカ南北戦争の際にはアメリカ政府に招聘され、息子と甥2人とともにワシントンD.C.を訪れていた。
フランス第二帝政時代の1870年、偽名を用いて母国へ入国し、軍に入隊して良い働きを見せたが、時の首相レオン・ガンベタによって逮捕され、イギリスへ強制送還された。
1871年に国民議会議員に選ばれるものの、元王族が議席を持つのを疎まれ、1876年に辞職に追い込まれた。
[編集] 子女
1843年5月1日、リオデジャネイロでブラジル皇女フランシスカ(フランス語名フランソワーズ・ド・ブラガンス)と結婚。2子をもうけた。
- フランソワーズ(1844年 - 1925年) - 同族の従兄シャルトル公ロベールと結婚。
- ピエール(1845年 - 1919年) - パンティエーヴル公。生涯独身を通したが、庶子が2人いたとされる。