フランソワーズ・ドルレアン (1844-1925)

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フランソワーズ
Françoise
オルレアン家

全名
出生 (1844-08-14) 1844年8月14日
フランスの旗 フランス王国ヌイイ=シュル=セーヌ
死去 (1925-10-28) 1925年10月28日(81歳没)
フランスの旗 フランス共和国、サン=フィルマン城
埋葬 フランスの旗 フランス共和国ドルー、王室礼拝堂
配偶者 ロベール
子女
父親 フランソワ
母親 フランソワーズ
宗教 キリスト教カトリック教会
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フランソワーズ・ドルレアンフランス語: Françoise d'Orléans, duchesse de Chartres, 1844年8月14日 - 1925年10月28日)は、フランスオルレアン家の王女。フランス王ルイ・フィリップの孫娘の1人。同族の従兄にあたるシャルトル公ロベールと結婚し、シャルトル公爵夫人となった。

生涯[編集]

オルレアン家のフランス王女[編集]

ルイ・フィリップ王の三男ジョアンヴィル公フランソワと、その妻でブラジル皇帝ペドロ1世の娘であるフランソワーズの第1子、長女としてヌイイ=シュル=セーヌで生まれた。全名はフランソワーズ・マリー・アメリー(Françoise Marie Amélie)。

オルレアン家は1848年の2月革命により王族の身分を失い、一族は亡命を余儀なくされた。

シャルトル公爵夫人[編集]

1863年6月11日にロンドン郊外のキングストン・アポン・テムズにある聖ラファエル教会において、家長のパリ伯爵の弟で従兄であるシャルトル公ロベールと結婚し、5人の子女をもうけた。

1925年にオート=アルプ県のサン=フィルマン城で亡くなった。

子女[編集]

参考文献[編集]

  • (フランス語) Dominique Paoli, Fortunes et infortunes des princes d'Orléans 1848-1918, Artena, Paris, 2006.
  • (フランス語) Jean-Charles Volkmann, Généalogie des rois et des princes, Éditions Jean-Paul Gisserot, Paris, 1998.

関連項目[編集]