ファッラーヒーン

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シャルル・グレール(Charles Gleyre)、『三人のファッラー』(Trois fellahs)、1835年

ファッラーヒーンファラヒンアラビア語: فَلاحين‎, Fallaheen / Fallahin, 単数形: ファッラーファラーفَلاح, Fallah)またはフェッラーヒーンフェラヒンアラビア語: فِلاحين‎, Fellaheen / Fellahin, 単数形: フェッラーフェラーفِلاح, Fellah)とは、中東に住む農民、農夫、農業労働者を意味する言葉。アラビア語で「耕す人」を意味する語に由来する。

イスラム教が中東に広まった時期、各地に支配者として移住したアラブ人(遊牧民ベドウィンなども含む)と、征服された土地に住む被支配層の農民(エジプト民族シリア民族など)らを区別するためにファッラーヒーンという語が使用された。後に、単に地方の住民や農民を指す語としても使われるようになった[1]

中東の農村部の人々[編集]

ファッラーヒーンはオスマン帝国時代以後、エジプトシリアパレスチナキプロスなど中東全域で「村人」あるいは「農民」を意味する語となった[2][3]。ファッラーヒーンらはエフェンディ(effendi、地主階級)とは区別されるが[4]、ファッラーヒーンには小作人から小規模地主、村全体で土地を共有するような村の住民まで、多くの形態がある[5][6]。また土地を持たない労働者のみをファッラーヒーンとする用法も見られる[7]。ファッラーヒーンと呼ばれる村人にはキリスト教徒ドゥルーズ教徒イスラム教徒などさまざまな宗教の信者も含まれる[8]。エジプトなどの中でも、地方部にあたる地域から都市部へ移住してきた人々もファッラーヒーンと呼ばれる。

エジプトの人口の60%を構成する[9]ファッラーヒーンらは、質素な生活を送り、祖先伝来の日干し煉瓦の家で生活する。ファッラーヒーンがエジプトの人口に占める割合は20世紀初頭には現在よりも高かったが、20世紀後半には人口の都市への大移動が起こり、多くのファッラーヒーンらが首都カイロ周辺のスラムなどで暮らすようになった。1927年上エジプトの農民層の生活の民族学調査を指揮した人類学者のウィニフレッド・ブラックマン(Winifred Blackman)は、ファッラーヒーンらの文化や宗教上の信仰と実践には、古代エジプト人の文化などからの連続性が認められると結論した[10]

「ファッラーヒーン」のエジプトにおける歴史的用法[編集]

7世紀にアラブ人がエジプトに侵入した当時、初期イスラム王朝においては、支配者であるアラブ人を頂点とし、イスラムに改宗したエジプト人をマワーリーとしてアラブ人の下に置き、キリスト教(コプト正教会)にとどまったエジプト人をズィンミーとしてさらに下に置いた。当時少数派のアラブ人が享受した特権は、ベドウィンの末裔であるアラブ系住民がエジプト土着の農民と共存するエジプトの地方部では、近代に入ってもその一部が残っている。

特にエジプトの中でも経済的・社会的に立ち遅れ、近代エジプト国家やその中心である下エジプトとの関係の中で強固なアイデンティティを持つにいたった上エジプトではその傾向が顕著に表れている[11][12]。上エジプトではイスラム教徒は圧倒的多数派ではなく、コプト系キリスト教徒が人口に占める割合が多い。イスラム教徒の中では、「アシュラフ」および「アラブ」と呼ばれる少数派の二つの部族が上層階級となっており、アラブ人によるエジプト征服の時代以来の構造を残している。社会の最上層を占める「アシュラフ」(Ashraf)は預言者ムハンマドの子孫であるとされ、その下に位置する「アラブ」(Arab)はアラビア半島からエジプトに移った人々の子孫とされる。社会の圧倒的多数派であるファッラーヒーンはアラブによる征服以前のエジプト人の末裔でイスラムに改宗した者たちの子孫とされ、最下層を占める。しかしながらコプトでもムスリムでも、特に社会の下層では、その信仰や実践は正統的でない民間信仰の影響を受けており、ここには多神教時代の名残も見られる[11]

ガマール・アブドゥン=ナーセル政権時代には農地改革や教育改革でファッラーヒーンには土地所有や高等教育への道が開かれたが、その後の社会主義的改革の行き詰まりと資本主義政策の導入で高い教育を受けたファッラーヒーンらは挫折を味わい、不満を抱える青年層がイスラム主義へと傾倒してゆくことになる[12]

脚注[編集]

  1. ^ Land for the Fellahin: Land Tenure and Land Use in the Near East, Raymond E. Crist, Published by Robert Schalkenbach Foundation, 1961
  2. ^ Yemen into the twenty-first century: continuity and change By Kamil A. Mahdi, Anna Würth, Helen Lackner, Garnet & Ithaca Press, 2007, p.209 Google ブックス
  3. ^ Catastrophe remembered: Palestine, Israel and the internal refugees : essays in memory of Edward W. Said (1935-2003), Nur Masalha, Zed Books, 2005, p. 78
  4. ^ State lands and rural development in mandatory Palestine, 1920-1948, Warwick P. N. Tyler, Sussex Academic Press, 2001, p. 13
  5. ^ Hillel Cohen, Army of Shadows, Palestinian Collaboration with Zionism, 1917–1948, University of California Press, 2008, p. 32
  6. ^ Healing the Land and the Nation: Malaria and the Zionist Project in Palestine, 1920-1947, Sandra Marlene Sufian, University of Chicago Press, 2007, p. 57
  7. ^ Lords of the Lebanese Marches: Violence and Narrative in an Arab Society, Michael Gilsenan, I.B.Tauris, 2003, p. 13
  8. ^ Syria and the Holy Land, George Adam Smith, George H. Doran company, 1918, p. 41 Google ブックス
  9. ^ http://www.semp.us/biots/biot_312.html
  10. ^ Faraldi, Caryll (11-17 May 2000). “A genius for hobnobbing”. Al-Ahram Weekly. http://weekly.ahram.org.eg/2000/481/bk3_481.htm 
  11. ^ a b Dan Tsczhirgi (1999). “Marginalized Violent Internal Conflict In The Age Of Globalization: Mexico And Egypt”. Arab Studies Quarterly (ASQ) 21 (3): 3–34. http://www.findarticles.com/p/articles/mi_m2501/is_3_21/ai_57476490. 
  12. ^ a b 都市の世界化とイスラーム主義の拡大