バシレウス

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東ローマ皇帝レオーン6世(在位:886年 - 912年)の銅貨。裏面には"+LEOn En ΘEO bASILEVS ROMEOn"(レオーン、神に(忠実なる)ローマ人のバシレウス)と書かれている。

バシレウスギリシア語: Βασιλεύς; Basiléus)は、ギリシア語の君主称号。元は「」を意味するギリシア語であり、古代ギリシア世界ではラテン語の "rex" にあたるものであった。中世東ローマ帝国においては皇帝の称号となった。中世~現代ギリシア語では「ヴァシレフス」。

沿革[編集]

古代ローマ帝国後期においては「インペラトルカエサルフラウィウスアウグストゥス」が皇帝の称号であり、初期の東ローマ帝国でもそれが引き継がれていた。ギリシア語版の勅令でも「アウトクラトール(支配者の意。インペラトルに相当)、カイサル、フラウィオス」や「アウグストス(ないしは、同じ意味のギリシア語であるセバストス)」と記されていた。

ところが629年サーサーン朝に勝利して首都コンスタンティノポリスヘ凱旋した皇帝ヘラクレイオス(在位:610年 - 641年)は、「キリスト信者のバシレウス」とだけ名乗った。のちに「アウトクラトール、カイサル、フラウィオス、セバストス(またはアウグストス)」といった伝統的な称号も復活し、併記されるようになった[1]が、以後これが東ローマ帝国における皇帝の称号として定着することになった。

当時、ゲルマン民族などの侵入によってラテン語使用地域の大半はローマ帝国の支配領域から離れてしまっており、新設された官位などもギリシア語の名称を使用するようになっていたことなどから、このことは帝国の公用語のギリシア語化、「ローマ帝国のギリシア化」を象徴するものとされているが、具体的になぜこの時期にヘラクレイオスが急に称号を変えた(即位時には伝統的な称号を使用していた)のかは定かではない。一説によればそれまで「バシレウス」は「諸王の王シャーハンシャー、ギリシャ語では「バシレウス・バシレオーン」)」と称していたサーサーン朝の君主をさす用語であったものだったが、サーサーン朝を降したことによってヘラクレイオスが新たな「諸王の王」であると宣言した、とも言われている。

なお、本来「王」を示すバシレウスが皇帝を示す用語に変わったことから東ローマ帝国では他国の王を示す言葉として、ヨーロッパ諸国の王には「レークス」(ラテン語の "rex" 由来か)、アジア系民族には「カガノス」(可汗由来か)が使用されたという[2][3]

脚注[編集]

  1. ^ レオーン6世(在位:886年 - 912年)の正式称号「アウトクラトール、カイサル、フラヴィオス、レオーン、敬虔なる、恵まれたる、高名なる、勝利したる、凱旋者、永遠に尊厳なるアウグストス、信心深きバシレウス」
  2. ^ 『ヘラクレイオス王朝時代の研究』288頁。
  3. ^ ちなみにギリシア語版ウィキペディアでは近代ギリシア王国の国王はΒασιλιάς της Ελλάδαςと「バシレウス」を用いて表記される一方、東ローマ皇帝はΑυτοκράτορας του Βυζαντίου(ビザンティオンのアウトクラトール)と表記されている。また、日本の天皇はΑυτοκράτορας της Ιαπωνίαςであり、やはり「アウトクラトール」が使われている。

参考文献[編集]

  • 杉村貞臣 『ヘラクレイオス王朝時代の研究』 山川出版社、1981年。
  • 井上浩一 『ビザンツ帝国』 岩波書店、1982年。 
  • 尚樹啓太郎 『ビザンツ帝国史』 東海大学出版会、1999年。

関連項目[編集]