ノート:キョンフォン

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統合提案[編集]

クンイェ(弓裔)、キョンフォン(甄萱)ともに韓国朝鮮半島)の後三国時代にそれぞれ後高句麗後百済を建国して活躍した韓国史上の重要な人物で、ただ歴史ドラマの登場人物に限らず弓裔甄萱という人物記事もすでに立てられています。このまま独立させておく意義が感じられませんので、ドラマの人物の記述を生かしつつ統合することを提案します。-タメルラング会話2012年4月6日 (金) 12:51 (UTC)[返信]

賛否表明[編集]

  • 賛成 基本的には賛成ではあるのですが、ドラマの場合、演出上の理由などから虚実織りまぜて描写することがままある話ですので、史実に基づく記述と、ドラマに基づく記述とは、同じ記事内にて節を分けたほうがよいのではないでしょうか。史実に基づく記述については、出典の明記が添えられることが望ましいかと思いますが、参考文献の提示くらいでも充分かもしれません。ドラマに基づく記述に関しては、精緻な出典の明記は必ずしも求められないかと存じます。--Isamit会話2012年4月8日 (日) 07:25 (UTC)[返信]
  • 反対 歴史上の人物の項目に、一ドラマの登場人物としての内容を詳細に書いてある例はないのではないでしょうか。独立項目として意義がないなら、内容を整理して太祖王建の登場人物の方へ統合したらいいと思います。また、ドラマに基づく記述といえども出典は必要と考えます。特に、直接視聴しただけで書くのは好ましくないと思います。--立花左近会話2012年4月10日 (火) 14:34 (UTC)[返信]
  • 賛成 (提案者票)

まず、歴史を題材としたドラマは、歴史という素材があってドラマがあるわけです。 ドラマがあって、歴史があるわけではありません。太祖王建のドラマは、三国史記三国遺事高麗史などの歴史書をもとにして登場人物(歴史上の人物)やシナリオがあるわけで、その意味では、NHK大河ドラマと全く同じで記事の構成自体も同じであるべきです。(史料批判について考えれば日本史でも同じことがありうる=過去の定説も覆っていることがあるので、ここでの議論は脱線するので割愛します)

さて反対論者は、「太祖王建の登場人物に統合」すべきと主張しますが、NHK大河ドラマの各記事(利家とまつおんな太閤記etc.)をみても登場人物は直接歴史上の人物の記事にリンクしており、「~の登場人物」という関連記事はありません。「「利家とまつ」の登場人物」という記事にドラマ上の「前田利家」記事ヘのリンクはなく、同様に「「おんな太閤記」の登場人物」記事はなく、ドラマ上の「豊臣秀吉」記事へのリンクはありません。

このように太祖王建の登場人物という記事立て自体が特殊で、大河ドラマ記事の構成から考えると、たまたま太祖王建という大河ドラマの登場人物の節が記事として独立したとみなすしかありません。そうすると、必然的に大河ドラマ記事のようにドラマの登場人物ではなく歴史上の人物の独立記事へのリンクがあるべきなのは自明です。Isamitさんのご指摘のように、どこまでがドラマの脚色でどこまでが歴史書の記録に基づくものか区別するために節を分けたまま、歴史上の人物記事として統合するということです。

反対論者は、「一ドラマの登場人物としての内容を詳細に書いてある例はないのではないでしょうか。」を論拠とし、「太祖王建の登場人物に統合」すべき、と主張しますが、すでに高麗の建国者である王建の記事も、それから後梁の建国者朱全忠耶律阿保機の記事もあります。これらをドラマの登場人物として整理して統合しなければならないことになり、仮に統合したとしても再分割の議論をまぬがれません。

日本では、史記などの中国の歴史書や三国志演義などとは異なり、三国史記三国遺事高麗史は非常になじみがうすいためにこのような反対論がでてきますが、百科事典として歴史上の人物の記事を作って充実することを目指すべきなのに、ドラマの登場人物の一覧に矮小化する理由がありません。

なお、大河ドラマ記事をみると、DVDなどメディアの紹介や脚注はありますが、一つの記事中に出典といえるものは全くなかったり、執筆者が素材となった歴史に関連する任意の文献を使って注をつけているのが実情です。ドラマのDVDを紹介したり、必要であれば脚注をつけていけばいいことです。---タメルラング会話2012年4月11日 (水) 16:11 (UTC)[返信]

コメント[編集]

  • コメント まず、NHK大河ドラマの各記事の登場人物の節ですが、これはプロジェクト:大河ドラマ#登場人物によって書き方が決められています。ただし、これはローカルルールで他のドラマには及びませんが、上位にプロジェクト:テレビドラマがあって、記事の構成はそれに倣うことが推奨されます。そこでキョンフォンの記事冒頭を見ますと、「太祖王建 > 太祖王建の登場人物 > キョンフォン」となっており、本記事は構成上ドラマ太祖王建の一部となっていることは明らかです。太祖王建の登場人物が「たまたま太祖王建という大河ドラマの登場人物の節が記事として独立したとみなす」のは(立項の経緯は必ずしもそうなっていないようですが)妥当だと思いますが、登場人物の記事の分量が多いので「太祖王建」と別になっていてもいけなくはないですし、「太祖王建」に統合してしまってもさしつかえないとも思います。そして、「太祖王建の登場人物」を「太祖王建」の一部と考えれば、そのスタイルは概ねプロジェクトの書き方に沿っており問題はなく、各登場人物はまさに直接歴史上の人物の記事にリンクしている形になっています。ですが、では本記事「キョンフォン」がさらに独立項目としておく必要があるのかといえばそこまで詳細に書く必要性はないと思いますし、仮にあってもクンイェなどとともに上位記事である「太祖王建の登場人物」に統合しておけばよいと考えます(なお、他にもチュ・ホジョヌンチャンが独立記事になっています)。また、本記事に歴史上の人物甄萱へのリンクがないことが問題視されておりますが、それは「太祖王建の登場人物」に統合すれば自ずと解決しますし、仮にこのまま独立させておくとしても、冒頭あたりにリンクを作ればいいだけの話だと思います。
次に歴史上の人物の側から見てみます。日本の大河ドラマの例がでましたので、織田信長を見てみましょう。信長は大河ドラマだけでも複数の登場作品があり、民放のドラマや映画、小説などを入れたら膨大な数になります。これらについて信長の項でいちいち説明したら、どういうことになるでしょうか。説明どころか作品を列挙するだけでも大変なことになります。それがノート:織田信長#関連作品で、先行議論としてPortal‐ノート:歴史#フィクション作品の情報を原則として人物記事に載せない旨の合意について提案があります。これらは結局結論が出ていないのですが、こうした問題は歴史上の人物の記事でしばしば起こっています。ましてや、一つのドラマの登場人物としての情報だけを詳細に掲載するのは非常に問題だと考えます。
最後に出典の件ですが、Wikipedia:検証可能性を担保するのはウィキペディアの方針であって、いかなる分野の記事においても適用されます。分野において用いる出典の種類において差はあっても、なくてもいいなどということはありません。プロジェクト:テレビドラマ#放送作品を扱った記事に於ける検証可能性についてでも詳細についての合意は出ていないようですが、議論があります。記述には注意が必要だと考えます。
まとめますが、以上により「クンイェ」と「キョンフォン」を「太祖王建の登場人物」に統合するのは問題ないと思いますが、歴史上の人物記事「弓裔」と「甄萱」に統合するのは、強く反対いたします。--立花左近会話2012年4月12日 (木) 01:04 (UTC)[返信]
(追記)タメルラングさんのご意見を読ませていただいて、ひょっとして誤解がおありになるといけないので書かせていただきますが、私は例えばキョンフォン太祖王建の登場人物に統合するのは構わないと申し上げているのであって、甄萱まで「太祖王建の登場人物」に統合すべきと申し上げているわけではありません。「甄萱」はあくまで現状のままで置いておくのが望ましいと考えております。ただし、キョンフォンは「太祖王建」において主役ワンゴンに次ぐ登場人物で、今のところ他に甄萱が登場する作品の記事もないようですから、「甄萱」にドラマ『太祖王建』に登場しているという程度の情報を記載するのは問題ないと思います。また、『太祖王建』の登場人物「ワンゴン」の独立記事は現在ありませんし、王建を「太祖王建の登場人物」に統合する必要性も全くありません。要は、歴史上実在した人物の記事は、あくまでその内容の記事として存在すべきであり、それを元にしたフィクションの登場人物としての説明は、そのフィクションの記事の中で記述すべきということです。結果として、フィクションの記事から登場人物節が分割ないしは別に立項され、そこからそらに個々の人物の単独記事ができたとしても、それを歴史上の人物の記事の方に統合するのはおかしいと申し上げているにすぎません。ご理解いただけましたでしょうか。--立花左近会話2012年4月12日 (木) 02:04 (UTC)[返信]
(追記)たびたび追記して申し訳ございません。出典については申し上げた通りですが、その情報源について、現在Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源#ガイドライン化の提案の議論も進行中でした。こちらもご参考いただければ幸いです。--立花左近会話2012年4月12日 (木) 05:54 (UTC)[返信]
  • コメント

>各登場人物はまさに直接歴史上の人物の記事にリンクしている形になっています。

なっていません。弓裔クンイェは同一人物のはずですし、キョンフォン甄萱は同一人物のはずなのに、二つのリンクがあります。NHK大河ドラマでは、織田信長は歴史上の人物である織田信長にリンクし、ドラマの登場人物の「織田信長」はありません。「織田信長」記事には映画作品の織田信長や小説の『織田信長』があげられていますが、「弓裔」ないし、「クンイェ」、「キョンフォン」ないし「甄萱」という映画、小説、漫画作品のいずれかを、もしかして韓国で作成ないし執筆している方がいるかもしれませんが、一般的には認識されていません。さらにクンイェ記事をみてみると、
クンイェ弓裔)は、韓国ドラマ太祖王建』に登場する人物である。」

になっています。キョンフォンについても

キョンフォン甄萱)は、韓国ドラマ太祖王建』に登場する人物である。」になっています。

これでも歴史上の人物記事に直接リンクしているといえるでしょうか。

>次に歴史上の人物の側から見てみます。日本の大河ドラマの例がでましたので、織田信長を見てみましょう。信長は大河ドラマだけでも複数の登場作品があり、民放のドラマや映画、小説などを入れたら膨大な数になります。これらについて信長の項でいちいち説明したら、どういうことになるでしょうか。説明どころか作品を列挙するだけでも大変なことになります。それがノート:織田信長#関連作品で、先行議論としてPortal‐ノート:歴史#フィクション作品の情報を原則として人物記事に載せない旨の合意について提案があります。これらは結局結論が出ていないのですが、こうした問題は歴史上の人物の記事でしばしば起こっています。ましてや、一つのドラマの登場人物としての情報だけを詳細に掲載するのは非常に問題だと考えます。

こんなことを私は主張していません。これはまさしくあなた自身がクンイェ弓裔キョンフォン甄萱の統合に反対しているから生じる問題です。わたしが一番危惧していることのひとつは、まさしく「民放のドラマや映画、小説などを入れたら膨大な数になります。これらについて信長の項でいちいち説明したら、どういうことになるでしょうか。」であって、これはまさしくあなたがしようとしていることで、あなたはそれが自覚できていないし、さらにはわたしの主張であるかのように印象操作しています。
たとえば太祖王建に登場する荘和皇后呉氏)や朴守卿(パク・スギョン)、王式廉(ワン・シンニョム)は、光宗大王にも登場しますが、あなたは、クンイェと弓裔、キョンフォンと甄萱の統合に反対し、フィクション作品の記述を載せないと主張することによって、いちいち、「「太祖王建」の登場人物」の王式廉、朴守卿、「「光宗大王」の登場人物」としての王式廉、朴守卿の記事をたてることを結果的に主張しています。そんなことをすればスタブの山でいちいち統合の議論をしてそのたびに反対意見が出て統合できないのですから収拾つかなくなります。
信長の記事については、歴史上の人物記事として成立させ、関連作品としてドラマの名称がついていますし、それで問題ありません。クンイェ弓裔キョンフォン甄萱については、日本ではあまりよく知られていないのですから、記事自体が充実することはあっても、信長記事のように膨大なドラマや小説の記述がやまのようになって収拾つかなくなることはありえません。統合して、大河ドラマの登場人物記事=歴史上の人物記事のようにドラマの登場人物のテンプレートをはずして、「「太祖王建」での描写」の節をたてればいいことです。王式廉、朴守卿についても歴史上の人物としての記述のあとに「「太祖王建」での描写」、「「光宗大王」での描写」の節をたてれば、ドラマの記述と史実とされている記述を分割でき、その人物への理解も深まります。wikipediaはみんなで百科事典をつくるプロジェクトなのですからチュ・ホジョヌンチャンの記事についても、いずれは歴史上の人物としての独立記事がたてられるべきで、時間はかかりますが、歴史上の詳細な記述については、三国史記三国遺事高麗史に基づいた記述をまってもいいのではと思います。信長のように小説、映画、漫画などでたくさん登場するということであれば、あらためて、その作品名を人物記事に載せ、その作品の記事で各人物のストーリー上での位置づけを説明するよう書き換えればいいことです。なぜ性急にことをすすめたがるのか理解に苦しみます。

>私は例えばキョンフォン太祖王建の登場人物に統合するのは構わないと申し上げているのであって、甄萱まで「太祖王建の登場人物」に統合すべきと申し上げているわけではありません。「甄萱」はあくまで現状のままで置いておくのが望ましいと考えております。ただし、キョンフォンは「太祖王建」において主役ワンゴンに次ぐ登場人物で、今のところ他に甄萱が登場する作品の記事もないようですから、「甄萱」にドラマ『太祖王建』に登場しているという程度の情報を記載するのは問題ないと思います。また、『太祖王建』の登場人物「ワンゴン」の独立記事は現在ありませんし、王建を「太祖王建の登場人物」に統合する必要性も全くありません。

誤解ではありません。あなたは、「一ドラマの登場人物としての内容を詳細に書いてある例はないのではないでしょうか。」「独立項目として意義がないなら、内容を整理して太祖王建の登場人物の方へ統合したらいいと思います。」と明確に主張しています。なぜこうご自分の主張を180度ひっくりかえし、他人の誤解だとすり変えるのでしょうか。
さらには、「本記事に歴史上の人物甄萱へのリンクがないことが問題視されておりますが、それは「太祖王建の登場人物」に統合すれば自ずと解決しますし、仮にこのまま独立させておくとしても、冒頭あたりにリンクを作ればいいだけの話だと思います。」と歴史上の人物の記事にはフィクションを加えないと主張しながら、歴史上の人物である甄萱記事をフィクションである「「太祖王建」の登場人物」に統合する主張をしていてご自身の主張に矛盾をきたしています。
そのような主張をなさる人物に「フィクションの記事から登場人物節が分割ないしは別に立項され、そこからそらに個々の人物の単独記事ができたとしても、それを歴史上の人物の記事の方に統合するのはおかしいと申し上げているにすぎません。ご理解いただけましたでしょうか。」などと言われなければならない理由はありません。
つまり、
「一ドラマの登場人物としての内容を詳細に書いてある例はないのではないでしょうか。」を論拠とし、「太祖王建の登場人物に統合」すべき、と主張しますが、すでに高麗の建国者である王建の記事も、それから後梁の建国者朱全忠耶律阿保機の記事もあります。これらをドラマの登場人物として整理して統合しなければならないことになり、仮に統合したとしても再分割の議論をまぬがれない。
日本では、史記などの中国の歴史書や三国志演義などとは異なり、三国史記三国遺事高麗史は非常になじみがうすいためにこのような反対論がでてきますが、百科事典として歴史上の人物の記事を作って充実することを目指すべきなのに、ドラマの登場人物の一覧に矮小化する理由がありません。

という私の議論に結局反論できないからご自分の主張をひっくりかえし、善意にみたとしても議論を混乱させて、すでに破綻している反対論を繰り返しているにすぎません。

Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源#ガイドライン化の提案の話を挙げられているようですが決定した方針ではないし、議論のなかできめていけばいいことです。現状大河ドラマ記事で、DVDなどメディアの紹介や脚注はありますが、一つの記事中に出典といえるものは全くなかったり、執筆者が素材となった歴史に関連する任意の文献を使って注をつけている実情がすぐに変えられるわけではないし、決定したのであれば月間新記事賞月間強化記事賞、草取り作業が有志によって行われているように、気がついた人が変えていけばいいことです。執筆者すべてがそうした作業をしなければならない義務があるのではありません。---タメルラング会話2012年4月12日 (木) 13:25 (UTC)[返信]

コメント

>なっていません。弓裔クンイェは同一人物のはずですし、キョンフォン甄萱は同一人物のはずなのに、二つのリンクがあります。
クンイェ太祖王建の登場人物の下位記事として独立記事になっているので、上位記事の太祖王建の登場人物に対してリンクをしてあるだけで、太祖王建の登場人物には弓裔へのリンクがあるのですから、それのどこを問題とされているのかわかりかねます。
>さらにクンイェ記事をみてみると、「クンイェ(弓裔)は、韓国ドラマ『太祖王建』に登場する人物である。」になっています。
「クンイェ(弓裔)は、韓国ドラマ『太祖王建』に登場する人物である。史実としての弓裔は弓裔の記事を参照のこと」とでも書き直せばいいだけの話だと思います。
>たとえば太祖王建に登場する荘和皇后(呉氏)や朴守卿(パク・スギョン)、王式廉(ワン・シンニョム)は、光宗大王にも登場しますが、あなたは、クンイェと弓裔、キョンフォンと甄萱の統合に反対し、フィクション作品の記述を載せないと主張することによって、いちいち、「「太祖王建」の登場人物」の王式廉、朴守卿、「「光宗大王」の登場人物」としての王式廉、朴守卿の記事をたてることを結果的に主張しています。そんなことをすればスタブの山でいちいち統合の議論をしてそのたびに反対意見が出て統合できないのですから収拾つかなくなります。
私が望ましいと思っているのは、太祖王建の登場人物としてのクンイェやキョンフォンの記述は「太祖王建の登場人物」に書いておけばいいということで、できれば「太祖王建の登場人物」の記事も「太祖王建」に統合してしまえばすっきりすると思っています。同様に光宗大王の登場人物としての記述は「光宗大王」の記事の中で説明しておくのが最も望ましいと思います。なにもそれぞれの番組の登場人物ごとに別個の独立項目を作る必要など全くありませんし、結果的にそう主張しているとおっしゃるのはいくらなんでもお考えが過ぎるというものでしょう。
>チュ・ホジョ、ヌンチャンの記事についても、いずれは歴史上の人物としての独立記事がたてられるべきで、時間はかかりますが、歴史上の詳細な記述については、三国史記、三国遺事、高麗史に基づいた記述をまってもいいのではと思います。
まったくおっしゃるとおりです。
>さらには、「本記事に歴史上の人物甄萱へのリンクがないことが問題視されておりますが、それは「太祖王建の登場人物」に統合すれば自ずと解決しますし、仮にこのまま独立させておくとしても、冒頭あたりにリンクを作ればいいだけの話だと思います。」と歴史上の人物の記事にはフィクションを加えないと主張しながら、歴史上の人物である甄萱記事をフィクションである「「太祖王建」の登場人物」に統合する主張をしていてご自身の主張に矛盾をきたしています。
ここがどうも私の考えを誤解されておられるようでならず、私の書き方がまずかったのかもしれませんが、私は甄萱太祖王建の登場人物に統合すべきとは申しておらず、あくまでキョンフォン太祖王建の登場人物に統合した方がいいのではないかと申しております。
>「太祖王建の登場人物に統合」すべき、と主張しますが、すでに高麗の建国者である王建の記事も、それから後梁の建国者朱全忠や遼の耶律阿保機の記事もあります。これらをドラマの登場人物として整理して統合しなければならないことになり、仮に統合したとしても再分割の議論をまぬがれない。日本では、史記などの中国の歴史書や三国志演義などとは異なり、三国史記、三国遺事、高麗史は非常になじみがうすいためにこのような反対論がでてきますが、百科事典として歴史上の人物の記事を作って充実することを目指すべきなのに、ドラマの登場人物の一覧に矮小化する理由がありません。
私は朱全忠耶律阿保機をドラマの登場人物として整理して統合しなければならないなどとは申しておりません。そのままでいいと思っております。
いま一度、私の考えをキョンフォンを例に整理しておきますと、
  • 甄萱はそのままにしておき、どこにも統合しない。あくまで歴史上の人物としての記事とする。この記事にドラマ「太祖王建」で登場している(キョンフォン)ことを簡潔に書くのはかまわない。しかし、この記事にキョンフォンは統合しない。
  • しかし、キョンフォンは独立記事にしておくほどの必要性はないので、太祖王建の登場人物に統合した方がいいと思われる。仮に独立記事のままにしておくことがあったとしたら、定義は「クンイェ(弓裔)は、韓国ドラマ『太祖王建』に登場する人物である。史実としての弓裔は弓裔の記事を参照のこと」とでも書き直す。
  • 太祖王建の登場人物は、太祖王建に統合してもさしつかえない。独立記事キョンフォンなども含め登場人物の説明が冗長すぎるきらいもあるので、全体的にもう少し簡潔に整理した方がいいのではないかと思われる。
とういうことです。何度も申し上げますが、フィクションの登場人物の独立記事を乱立させようなどとは全く思っておりません、どうもその点では一致しているような気もするのですが、なぜタメルラングさんがフィクションの登場人物としての記述を歴史上の人物としての項目の方に統合させたいのかいまひとつわかりません。いずれにしても、ご提案には反対意見を維持させていただきます。なお、出典や検証可能性に対するお考えには疑問を感じざるを得ません。現状で不十分な記事が多いとしても、新たに記述する際には出典をつけるよう心がけるべきものと考えます。--立花左近会話2012年4月12日 (木) 14:48 (UTC)[返信]


コメント

>なにもそれぞれの番組の登場人物ごとに別個の独立項目を作る必要など全くありませんし、結果的にそう主張しているとおっしゃるのはいくらなんでもお考えが過ぎるというものでしょう。

>何度も申し上げますが、フィクションの登場人物の独立記事を乱立させようなどとは全く思っておりません、

あなたは、
「結果として、’’’フィクションの記事から登場人物節が分割ないしは別に立項され、そこからそらに個々の人物の単独記事ができた’’’としても、それを歴史上の人物の記事の方に統合するのはおかしいと申し上げているにすぎません。ご理解いただけましたでしょうか。」と言っていますが??これは「フィクションの登場人物の独立記事を乱立させようなどとは全く思っておりません、」と矛盾しているでしょう。
まさしく「いちいち、「「太祖王建」の登場人物」の王式廉、朴守卿、「「光宗大王」の登場人物」としての王式廉、朴守卿の記事をたてることを結果的に主張しています。そんなことをすればスタブの山でいちいち統合の議論をしてそのたびに反対意見が出て統合できないのですから収拾つかなくなります。」
で指摘された憂慮すべき事態とどこがちがうのでしょうか?言い換えればaドラマの歴史上の人物A、bドラマの歴史上の人物A、cドラマの歴史上の人物Aの記事を作ろうという考え方とどこがちがうのでしょうか?当然aドラマの歴史上の人物A、bドラマの歴史上の人物A、cドラマの歴史上の人物Aは、それぞれのドラマでテーマやコンセプトが違ってきますから描かれ方も当然違ってきます。統合が困難になるのは火を見るより明らかです。

>なぜタメルラングさんがフィクションの登場人物としての記述を歴史上の人物としての項目の方に統合させたいのかいまひとつわかりません。

基本的な考え方は、自分は典型的な包摂主義者なのかなと思います。包摂主義の項目を読むたびに首肯することが多く、歴史上の人物Aの記述について、いろんな見方があってよいと考えます。そのあたり立花さんの考え方は、排他主義削除主義に近いために根本的な対立になっている気がします。
ただ、包摂主義といっても無制限にそうなのではなく、換言すれば、信長のような日本で著名な人物の記事にドラマ、小説、漫画、映画などの描写がてんこもりに入ることを許容するものではなく、そういった作品名が記事の末尾に記述されれば足りると考えます。弓裔甄萱について日本で知られているのは、ドラマ、小説、漫画、映画といった作品群のなかでは、「太祖王建」くらいなものですから、歴史上の人物の記述にたった一本にすぎないドラマの記述が節をわけてあったところで混乱を生じて収拾がつかなくなるとは考えられません。日本語では弓裔を「クンイェ」と読まないし、甄萱を「キョンフォン」と読まないのですから、いかにも別人の記事のようにクンイェ弓裔キョンフォン甄萱があることを許容したら、読者が混乱しますし、前述したようにaドラマの歴史上の人物A、bドラマの歴史上の人物A、cドラマの歴史上の人物Aは、それぞれのドラマで描かれ方が異なって当然ですから、それを統合しようとしたら反対論が起こるのは自明で、どうしようもなくなるのはすでに述べたとおりです。ですから例に挙げられた

>「クンイェ(弓裔)は、韓国ドラマ『太祖王建』に登場する人物である。史実としての弓裔は弓裔の記事を参照のこと」とでも書き直せばいいだけの話だと思います。

だけでは、aドラマ、bドラマ、cドラマの登場人物Aの記事の冒頭部分を同じようにすればいいということとなり何の解決にもなっていません。ですからあくまでも統合するという結論にしかなりません。なにしろ大河ドラマ記事からのリンクは歴史上の人物の記事だけなのですから。

>*甄萱はそのままにしておき、どこにも統合しない。あくまで歴史上の人物としての記事とする。この記事にドラマ「太祖王建」で登場している(キョンフォン)ことを簡潔に書くのはかまわない。しかし、この記事にキョンフォンは統合しない。

>*しかし、キョンフォンは独立記事にしておくほどの必要性はないので、太祖王建の登場人物に統合した方がいいと思われる。仮に独立記事のままにしておくことがあったとしたら、定義は「クンイェ(弓裔)は、韓国ドラマ『太祖王建』に登場する人物である。史実としての弓裔は弓裔の記事を参照のこと」とでも書き直す。

>*太祖王建の登場人物は、太祖王建に統合してもさしつかえない。独立記事キョンフォンなども含め登場人物の説明が冗長すぎるきらいもあるので、全体的にもう少し簡潔に整理した方がいいのではないかと思われる。

なぜはじめからこのように提案していただけなかったのでしょうか?2012年4月10日 (火) 14:34 (UTC)の記述の短さから見れば、まったくの外野からすれば簡潔で賢明そうに見えますが、議論の相手から見たら、要出典厨+反対のための反対論を唱える、wikipediaの投稿履歴が削除、ブロック、要出典、統合、分割の履歴で埋め尽くされているような人物が議論をのらりくらりとひっくりかえしているようにしかみえません。このノートでの議論で立花さんがそのような人物ではないことがようやく理解できたことがおおきな収穫です。こちらも少々感情的になった面がありその点はおわびします。
ただ、まじめに議論したいと考えている相手にとっては、2012年4月10日 (火) 14:34 (UTC)のような記述は、記述内容が不十分なのに、簡潔さで外野の印象を良くして、長文で詳細に反論したら外野の印象が悪くなるから、反論の仕方を考えなければならないなどほんとうに疲弊させられますので、最初からこのようにご自分がどう考えているか具体的に意見をのべられたほうがお互いの感情をさかだてることなく、建設的な議論ができると思います。

立花さんに対し、非常に感心したのは、わたしが、

チュ・ホジョ、ヌンチャンの記事についても、いずれは歴史上の人物としての独立記事がたてられるべきで、時間はかかりますが、歴史上の詳細な記述については、三国史記、三国遺事、高麗史に基づいた記述をまってもいいのではと思います。

と書いたことに対し、じゃあお前が書けばいいじゃんw記事を充実させてくださいwできないだろうから賛成しないwといった卑怯な議論をふっかける輩が多くいる中で、立花さんはそのような方向に議論をもっていかなかったことには非常に好感がもてました。---タメルラング会話2012年4月13日 (金) 07:54 (UTC)[返信]

私は最初から前回の発言の最後にまとめた考えで発言していたつもりだったのですが、どうも私の説明能力が低く誤解を与えたようでお詫び申し上げます。「結果として、フィクションの記事から登場人物節が分割ないしは別に立項され、そこからそらに個々の人物の単独記事ができたとしても、それを歴史上の人物の記事の方に統合するのはおかしいと申し上げているにすぎません」と言う発言は、登場人物の単独記事の乱立は好ましく思ってはいないのですが、すでにあるそういった単独記事を歴史上の人物の記事に統合する方がもっと良くないと思ってるためにそう言ってしまったのでした。大変申し訳ございません。
いちおう凡その誤解はお解きいただけたようですが、一点申し上げますと、私の編集履歴は決してタメルラングさんのおっしゃるようなものばかりではございません。おそらく最近の履歴だけをご覧になってのことではないかと思いますし、もちろんいちいち過去の履歴をつぶさに見る必要など誰にもありませんが、私に対してばかりでなく、あまりそういう偏見で他の編集者をご覧にならない方がよろしいかと思います。「卑怯な議論をふっかける輩」というようなご発言などもいかがなものかと思います。それと「ブロック」とありましたが、私は誰かのブロックに関わる編集をしたことはなかったと思いますし、ある方からブロック依頼を出されたことはありますが、その依頼は「不適切な依頼」ということで即時終了していますし、その方に対するCU依頼に参加して、結果的にその方が多重アカウントでブロックになりはしましたが、自分が直接ブロック依頼を出したこともありません。あとは、ある方に他の方からブロック依頼が出ていることをお知らせしたぐらいです。これについては何をおっしゃっているのかわかりませんでした。
それはともかくとして、結局のところお互いの結論は変わっていないかと思われますが、この後はどういたしますか? このまま議論を続けるか、それともコメント依頼に出すなどして第3者のご意見をいただくなどの方法もあるかと思いますが、いかがいたしましょう?--立花左近会話) 2012年4月13日 (金) 13:04(UTC)---署名追加タメルラング

>私の編集履歴は決してタメルラングさんのおっしゃるようなものばかりではございません。おそらく最近の履歴だけをご覧になってのことではないかと思いますし、

わたしは、立花さんの編集履歴をみたとは申し上げていません。立花さんが「要出典厨+反対のための反対論を唱える、wikipediaの投稿履歴が削除、ブロック、要出典、統合、分割の履歴で埋め尽くされているような人物」ではなく、「お前が書けばいいじゃんw記事を充実させてくださいwできないだろうから賛成しないwといった卑怯な議論をふっかける輩」でもないから好感が持てると申し上げているだけで他意はありません。言い換えれば、書き込んでいる利用者すべてが信用できるとは限らないと申し上げているだけで、表現が不快に感じられましたら申し訳ありません。
「ブロック依頼」だの「削除依頼」だの議論系の編集が行われているところを10だの20だの検索して、書き込んだ人物の投稿履歴を確認してみてください。いくつかはすさまじいものにつきあたると思います。

それから出典についてですが、

※何度か試しましたが、直接飛べないようなので、お手数ですがワードかアドレスバーに貼ってください。

を挙げておきます。後者のリンクで「最近では常識でわかること、複数の状況から容易に演繹的に答えが導かれるものであっても、一部の編集者や管理者は投稿者に一方的に罵声を浴びせ、「要出典」「独自研究」タグをべたべた貼って、記事をつぶしている。」「評論家より当事者である地元民の経験則のほうが信用できるといった問題である。個体差が激しいことで一定の文献にできるものでないことは常識ではないか。」という批判はまさしくあたっています。

わたしの投稿記録や立花さんの投稿記録から、共通して歴史に関心があるようなので、例としてあげるのですが、名君暗君暴君名将といった価値判断を伴うものは、意見が分かれるので、これこそ要出典や独自研究を貼って注意しなければならないのはもちろんですが、例えば、禅譲という記事で「禅譲の過程」に関して文献に基づいて経験則を表現したものについて、「要出典」がはられ、はがされてもまたはられるといった事態がみられます。これは、はたから見てどうも首をかしげます。また、「世界の一体化」のノートなどで「独自の表現」であるものが「独自研究」、「要出典」ということで大論争となり、執筆者記事へ私怨とおもわれる削除依頼がIPで出されるなどおまけまでつきました。双方結果的には存続になりましたが傍から見たらすごいエネルギーのムダ遣いで、このエネルギーをもっと執筆のほうに向けられないのかと考えてしまいます。

自分では執筆しないくせにタグを貼りまくって、方針文書を読みまくって論争にはやたら強いといった輩が「ブロック依頼」だの「削除依頼」だの議論系の編集が行われているところを10だの20だの検索すればごろごろいます(私個人としては見るに堪えないので、いちいちリンクを貼ってくれ、出典を示してくれというのはご容赦ください。悪魔の証明になるから、お前が証明すべきだ、と言われそうですが二つのサイトのリンクで充分様子がわかると思います)。このようなことで有為な執筆者の意欲が奪われていくのですから、裸の王様の逸話ではないですが外部の批判にすぎない、wikipediaのコミュニティ内のことでないから関係ないといってすまされません。

「独自研究」、「要出典」を言う前に、本当に削除しなければならない、本当に出典や信頼できる情報源が必要なのはどういった記事やどういった記述なのかを慎重に検討すべきだと思います。本音をいえば方針文書を改正すべきだと考えますが、そういった議題を運営系のページに提起したところで、後者のリンク先に示すような悲惨な結果になりかねません。ですから執筆者側は現状ではそういったページにかかわらないようにして恨みをもたれないように気をつけるか、大人しくしているしかありません。こういった問題は非常にめんどくさくて、つかれるので、それこそ数の勝負で勝てるようにどこかで根回しでもしないと解決しないと思われます。 

「太祖王建」の話題に戻りますが、出典については、MMORPGの個人的な体験などと異なり、ドラマを見た人によって感想は異なってもストーリーが異なることはないので、第何話(の場面)、とかという注がつけば典拠が確認できる(検証が可能である)ので十分だと思います。

>それともコメント依頼に出すなどして第3者のご意見をいただくなどの方法もあるかと思いますが、いかがいたしましょう?

コメント依頼に出すことには反対はしません。いったん取り下げて、文面を考えて明日にでも提示してみようかと思います。---タメルラング会話2012年4月14日 (土) 15:21 (UTC)[返信]
タメルラングさんのお気持ちもわからないではありませんが、方針は方針ですし。しかし、この件に関してはこれ以上深入りすると本論からはずれますので、このぐらいでやめておきます。なお、ご提示のサイトは、どういうわけかトップページらしきページにしかアクセスできず、内容は確認できませんでした(セキュリティの設定のせいかもしれませんが)。ただ、『太祖王建』に限って言えば、DVDが出ているようですので検証は可能でしょうが、1次資料ですから、何らかの評価が入るような記述には使えないでしょう。ちなみに、先にご紹介したWikipedia‐ノート:信頼できる情報源#ガイドライン化の提案では今のところ賛成8、反対0です。
本提案に関しては、いったん取り下げられるとのことですので、新たなご提示内容を拝見させていただくこととさせていただきます。--立花左近会話2012年4月14日 (土) 16:25 (UTC)[返信]

合意形成のためのコメント依頼[編集]

朝鮮半島後三国時代に活躍した群雄である弓裔の記事がクンイェ弓裔甄萱の記事がキョンフォン甄萱といったように二つづつあります。こういったケースについて

  • 同一人物の記事なので統合すべきである

NHK大河ドラマなど歴史を題材としたドラマの登場人物からリンクするのは、歴史上の人物記事のみで、ドラマ上の登場人物の記事は存在しない。Wikipedia:ページの分割と統合の「統合すべき場合」の

  • 同一の概念や事物に関して、不注意などにより、別名でページが作られた場合

に典型的なケースである。

ドラマ上の登場人物として整理統合したしようとの意見があるが、個々の人物記事を短くするか、記述を膨らませるかになるが、前者だと歴史上の人物としての記述がドラマの一登場人物に矮小化され、後者だと再分割の議論が惹起することになる。

日本では、史記などの中国の歴史書や三国志演義などとは異なり、三国史記三国遺事高麗史は非常になじみがうすいため、ドラマの登場人物を歴史上の人物として記事を充実させる必要がある。弓裔クンイェは同一人物で、キョンフォン甄萱は同一人物であり、日本では、歴史研究者のほかは、「太祖王建」の登場人物としてしか知られていないため、歴史上の人物の記事の中に一ドラマの登場人物の内容が記述された状態で統合されたとしても、信長のように複数のメディアや文学作品に取り上げられているわけではないので、多角的な見方を一記事で提示するということで節で分割すれば問題がない。

  • 性格の異なるものなので、統合すべきではない(ドラマの登場人物ないしはドラマ本体の記事に統合すべきである)

歴史上の人物の場合、織田信長を例にとると、信長は大河ドラマだけでも複数の登場作品があり、民放のドラマや映画、小説などを入れたら膨大な数になる。ノート:織田信長#関連作品で、先行議論としてPortal‐ノート:歴史#フィクション作品の情報を原則として人物記事に載せない旨の合意について提案があり、こういった問題は、歴史上の人物の記事でしばしば起こっていて、一つのドラマの登場人物としての情報だけを詳細に掲載するのは歴史上の人物記事を扱ううえで整合性や基準が保たれない。
そのため、前例ができると、そのたびに議論が惹起され後々に著しい混乱をきたすなどの影響が残り非常に問題である。したがって、歴史上の人物記事には、ドラマや映画、小説などのフィクション性のある記述は、その人物を題材にした特に有名な作品、あるいは従来とは異なる解釈をしたような作品など特筆すべき場合に簡潔に紹介する以外は、載せるべきでない。

キョンフォンを例にとると、甄萱はあくまで歴史上の人物としての記事とし、この記事にドラマ「太祖王建」で登場している(キョンフォン)について簡潔に書くにとどめ、Portal‐ノート:歴史#フィクション作品の情報を原則として人物記事に載せない旨の合意について提案をふまえてどこにも統合しない。すなわち、キョンフォン甄萱は統合しない。

さらに、現状のキョンフォンについては、独立記事にしておくほどの必要性はないので、太祖王建の登場人物に統合した方がいいと思われる。同様に弓裔クンイェに統合せず、双方、独立記事として残す場合は、例えば定義を「クンイェ(弓裔)は、韓国ドラマ『太祖王建』に登場する人物である。史実としての弓裔は弓裔の記事を参照のこと」とでも書き直す。

太祖王建の登場人物は、太祖王建に統合することも考えられる。独立記事キョンフォンなども含め登場人物の説明が冗長すぎるきらいもあるので、全体的にもう少し簡潔に整理するのが望ましいと思われる。

の二つの意見が出て現在の時点で議論が平行線になっています。---タメルラング会話2012年4月19日 (木) 15:07 (UTC)[返信]

コメント依頼にも書いたように、こういったケースは前例になりうるので、今後歴史上の人物記事を編集するにあたってどこまで小説、映画、漫画などの作品の記述を反映させるべきかについても、ご意見いただければ幸いです。---タメルラング会話2012年4月21日 (土) 04:52 (UTC)[返信]

コメント ケースバイケースではないでしょうか。一般論としては歴史上の人物の項目にはフィクションの記述は原則せず、題名だけを記述するようになっていると思います。歴史上の人物としてよりもフィクションの登場人物としての方が知名度が高い人物の項目では、歴史上の人物とフィクションの登場人物が併記されていることもあるようです。三国志演義水滸伝の登場人物やダルタニャンがその例です。ただし里見義実でも南総里見八犬伝の登場人物は別になっていますし、玄奘三蔵西遊記の登場人物としては別になっています。
本件についても、歴史上の人物とは区別しておいた方が安全です。太祖王建が今後もずっと三国志演義並みの人気を保ち、歴史上の人物としてよりも「太祖王建の登場人物」としての知名度が高いままだと推定されるのであれば人物としての記事に統合しても良いでしょうが、10年後、20年後にどうなっているかわからないですよね。もしそれまでに別の人気歴史ドラマや歴史小説に取り上げられることがあると、歴史上の人物とは分けておいた方が良かったとなるでしょう。--アルビレオ会話2012年4月23日 (月) 12:46 (UTC)[返信]

コメント キョンフォンクンイェの両方を読ませて頂きましたが、どちらも信頼できる情報源がなく独自研究による立項ですね。『大祚榮 テジョヨン』というテレビドラマでも登場人物の単独記事が2つほど作られましたが (これこれ) 、内容が独自研究で、テレビドラマ記事に統合したとしても、そちら側に独自研究が紛れ込むおそれもあるため、現在削除依頼を提出中です。こちらでは統合を前提に議論進行中ですが、記事そのものを削除してしまうという選択肢も一応あるというコメントだけさせて頂きました。--Ohtani tanya会話2012年4月27日 (金) 23:20 (UTC)[返信]

コメント アルビレオさん、Ohtani tanyaさん、ご意見ありがとうございました。いろいろ考えましたが、中国の王朝名を時代別に()で区別したり、文公だの明帝だのといった同じ諡号の人物を()で王朝名をつけて区別しています。ですから記事名もキョンフォン (太祖王建)クンイェ (太祖王建)とする方法もあるのかなと思い始めました。つまり今までとは正反対の意見になってしまうわけですが、歴史上の人物記事のいたずらな肥大化をさせないで多様な見方を網羅していく類のない百科事典をつくるために、削除、削除で記事がつぶされていくというのは健全なあり方とは思えないからです。---タメルラング会話2012年4月30日 (月) 13:25 (UTC)[返信]

コメント 記事名に()を使うのは、普通は同名の記事名が他にある場合で、この場合は甄萱はあっても、片仮名のキョンフォンがつく記事は他にないので、キョンフォン (太祖王建)という記事名は現段階では適当でないと思います(Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避の種類と方法参照)。Wikipedia:信頼できる情報源もガイドラインとなりましたし、Ohtani tanyasさんのおっしゃるような方法も選択肢としてはありでしょう。ただ、太祖王建太祖王建の登場人物も信頼できる情報源による出典がついていない状況なので、そちらに統合しても大きな影響はないと思います。逆に言えば、全体的に信頼性の向上が必要でしょう。--立花左近会話2012年5月2日 (水) 00:43 (UTC)[返信]

コメント 1次資料 ([1][2][3]) および2次資料 (たとえば[4]など) で、ある程度の肉付けはできると思います。歴史劇は専門のムック等も出版されていますし、歴史劇に詳しい利用者の方がおひとりおられますので、その方にどの資料でこのドラマの特集ページが組まれているかを教示してもらえたら、それに基づいて出典を増やす事もできると思います。--Ohtani tanya会話2012年5月2日 (水) 10:41 (UTC)[返信]

報告 最終コメントより一ヶ月以上過ぎたため、本議論は議論停止と見なされ、コメント依頼から除去されております[5]。なお、最終のOhtani tanyaさんのコメントには、コメントアウトの形で書かれている文言があります。私はこれは重要な指摘だと思いますが、ご本人の意思を尊重し、コメントアウトのままにしておきます。これらを踏まえまして、次節のようにさせていただきました。--立花左近会話2012年6月5日 (火) 00:49 (UTC)[返信]

出典の明記と特筆性[編集]

上記議論の最終コメントより一ヶ月以上経過しておりますが、その間に出典、特に特筆性があるとするに十分な信頼できる情報源による二次史料資料の明示が行われておりませんのので、それらを求めるテンプレートを貼らせていただきます。それらを加筆できる方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。--立花左近会話) 2012年6月4日 (月) 23:04 (UTC)(誤字訂正--立花左近会話2012年6月12日 (火) 15:01 (UTC)[返信]

本記事およびクンイェの他、同じドラマ太祖王建の登場人物としての独立項目チュ・ホジョ‎ヌンチャン‎についても、よろしくお願いいたします。--立花左近会話2012年6月5日 (火) 00:49 (UTC)[返信]

方針を大事にする人が「資料」と「史料」を間違えてはいけないと思います。 「資料」と「史料」では、(※「」内が引用)
史料
(1)スーパー大辞林(三省堂)※書籍版はなし。
「歴史を認識する素材。文献・遺物・図像・口頭伝承など。」
(2)漢字源(学研)
「歴史の研究や歴史書の編集の材料となる文献や遺物。」
※史=「歴史官。歴史の書。」
(3)小林信明『新選漢和辞典』(小学館)
「歴史の研究や編集の参考になる材料。」
※史=「①記録。歴史。②史官。」

資料
(1)スーパー大辞林
「あることをする上でもととなる材料。特に研究のためのデータ。「-収集」」
(2)漢字源(学研)
「調査や研究のもととなる材料。」
(3)小林信明『新選漢和辞典』(小学館)
「材料。原料。」
※(1)(2)は、シャープパピルスPW-TC900のコンテンツ

立花さんは、この場合どう考えてもwikipediaの出典や信頼できる情報源のことをおっしゃっておられるので、「二次資料」としないと意味が通じません。しかも歴史の記事ではなく歴史をあつかってはいますがドラマの人物記事です。あげ足取りではなく大事なことなのであえて指摘させていただきました。---タメルラング会話2012年6月12日 (火) 14:45 (UTC)[返信]

ご指摘恐れ入ります。単純な変換ミスでした。お詫びいたしますとともに、お礼申し上げます。--立花左近会話2012年6月12日 (火) 14:54 (UTC)[返信]

こちらこそ恐縮です。ほかの誤字なら見て見ぬふりなのですが^^;今日『三国史記』を閲覧してきましたが「弓裔」と「甄萱」が列伝レベルなのでチュ・ホジョヌンチャン‎は歴史上の人物として立項できるのかはなはだ不安です。平凡社東洋文庫は全訳なのでありがたいですね。新羅本紀と列伝を後三国時代部分のみコピーするか迷っているところです。---すっかり太祖王建にはまってしまったタメルラング会話) 2012年6月16日 (土) 14:39 (UTC)---重複部分削除タメルラング会話) 2012年6月16日 (土) 14:40 (UTC))---誤字訂正などタメルラング会話2012年6月18日 (月) 13:53 (UTC)[返信]