ネストル・マフノ

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ネストル・マフノ

ネストル・イヴァーノヴィチ・マフノウクライナ語:Нестор Іванович Махноネーストル・イヴァーノヴィチュ・マフノー1888年10月26日 - 1934年7月25日)は、ウクライナアナキスト革命家。「バトゥコ」(父)と呼ばれた[1]

概要[編集]

ウクライナにおいて革命的な農民層をパルチザン軍に組織して農民アナキズム運動を展開した。ロシア革命に対する「反革命」との攻防においてウクライナ地方から白軍を撃退する。当初は革命の一部として行動していたが、ボリシェヴィキの独裁色が強くなるや徐々に独立的傾向を強める。その根拠は貧農の立場に立つマフノと、都市の工場労働者を重視し農民を軽視したボリシェヴィキとの対立が根本的な理由として挙げられる。マフノのパルチザン軍がデニーキン白衛軍を撃破した後、マフノ軍と赤軍の戦端が開かれ、最終的に、マフノのパルチザン軍は敗れ、マフノはパリに亡命する。

現在、この赤軍によるマフノ・パルチザン軍への攻撃を「スターリンの恐怖政治の先駆」とする反スターリン主義的解釈と「小ブルジョア農民の権益のために革命政権を攻撃した者への正当な反撃」とするロシア共産党の史観に拠る解釈がある。

脚注[編集]

  1. ^ Alexandre Skirka,Nestor Makhno - Anarchy's Cossack, Translated by Paul Sharkey, (Oakland: AK Press, 2004), 9. "The literal translation, 'little father' does not quite capture the meaning that the word had in Ukrainian; ever since the days of the Zaporog warrior communities it had implied an elected and irrevocable military leader. At the same time when being so called, Makhno was only 29 and thus had nothing paternal or venerable about him; anyway there were other 'Batkos' even in the Makhnovist movement and throughout the region."

関連項目[編集]

外部リンク[編集]