テーオドール・ベンファイ

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テーオドール・ベンファイ

テーオドール・ベンファイTheodor Benfey, 1809年1月28日 - 1881年6月26日)はドイツ人の言語学者。ドイツのゲッティンゲンの近くのネルテン(de:Nörten)で、ユダヤ系の商人の子に生まれる。医者を目指していたが父にヘブライ語を教わったことをきっかけに言語学の道に進む。ミュンヘンで哲学で有名なシェリングティアシュの講義で感銘を受ける。後フランクフルトで教諭になる。研究は主にギリシア語ラテン語であったが「数週間で言語を身につけられるか?」という賭けを行ったことをきっかけにサンスクリットに転向する。1862年にゲッティンゲン大学の教授に就任。ゲッティンゲンで死没。

年譜[編集]

  • 1839年~42年 Griechisches Wurzellexikon を発刊、フランス学士院ヴォルネー賞(Prix Volney)を贈られる
  • 1844年 Überdas Verhältnis der ägyptischen Sprache zum semitischen Sprachstamm
  • 1847年 Die persischen Keilinschriften mit Übersetzung und Glossar
  • 1848年 Die Hymnen des Sâma Veda を刊行
  • 1852年~54年 Handbuch der Sanskritsprache を著す
  • 1854年 Pantschatantra. Fünf Bücher indischer Fabeln, Märchen und Erzählungen
  • 1862年外国語の研究が認められ、ゲッティンゲン大学で正式に教授となる。
  • 1866年サンスクリット英語辞典を刊行する。
  • 死後ヴェーダ語文法の著作が完成する

1890年論著の選集が刊行された(息子が序文を記している)。