スティーナ・ノルデンスタム
| スティーナ・ノルデンスタム Stina Nordenstam |
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|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生 | 1969年3月4日(44歳) |
| 出身地 | ストックホルム県 ストックホルム |
| ジャンル | オルタナティヴ・ロック ドリーム・ポップ フォーク |
| 職業 | シンガーソングライター |
| 活動期間 | 1990年 - |
| レーベル | ワーナー・ミュージック・グループ ソニー・ミュージックエンタテインメント ユニバーサルミュージック |
| 共同作業者 | ヴァンゲリス |
| 公式サイト | Official Website |
スティーナ・ノルデンスタム(Stina Nordenstam、1969年3月4日 - )は、スウェーデンストックホルム郊外出身の歌手。
歌手として活動しつつ、写真家や映画監督になることを夢見ていたが、自分のジャケット写真やミュージックビデオを制作した際に挫折。今は歌手業にのみ専念している。
彼女にはEmma Nordenstamという姉がおり、歌手として活動している。スティーナほどの知名度はない。
彼女を語る上で最も重要であると思われる、独自のロリータ・ウィスパーボイスで歌唱するのが特徴的。デビュー当時からほぼ全ての楽曲のプロデュースに自ら手をつけた上で個性的なミュージシャンらを起用。「スウェーデンのビョーク」とデビュー当時から常に評されている。
「同じ環境で創作活動をするのは好きじゃない。」と語る彼女は、事実スウェーデン、デンマーク、アメリカ、イギリス・・・と、新しいアルバムを制作する度にスタジオを変え、スタッフを総入れ替えした。(2004年になって、前作でプロデュースを担当したチャド・ブレイクを「The World Is Saved」でミックスとして再起用した。同じスタッフを製作陣に入れるのはこれが初の試みである)
レディオ・ヘッドのトム・ヨーク、シガー・ロス、デヴィッド・シルヴィアン、ジム・オルークやスウェードのブレット・アンダーソン。彼女の声に魅了された男たちの名前を挙げることは、決して無駄ではないだろう。
日本では、当初所属していたワーナーから「スティーナ」というファーストネームのみの名義でCDをリリースしていた。コラボレーションやコンピレーションアルバムで別のレコード会社からリリースする際には、「スティーナ・ノーデンスタン」や「スティーナ・ノルデンシュタム」などと表記されている。
目次 |
経歴[編集]
ジャズ愛好家の父親の影響で、子供の頃からピアノとヴァイオリンを始める。「とにかく、自分にできるものはなんでも手を出さないと気が済まない子だった」と語る彼女はその後、体操やダンス、オーケストラでのヴァイオリンや教会の合唱隊に所属するなど、自分が興味を持ったことに対して積極的に取り組んだ。又、極端な左翼思想を持つ両親の影響からか、彼女自身も青年共産主義同盟に所属し、政治運動を行った経験もある。
ストックホルムの音楽学校に所属していた彼女は、その特異の声質に気づいた教師の薦めで15歳から本格的に歌を歌い始める。ポップソングからクラシックまで歌いこなす彼女の評判はすぐに広まり、噂を聞きつけて集まったプロの年配ミュージシャンと共に「the flippermen」というバンドを結成し、各地のジャズクラブでライブを行っていく。その後、歌うことの喜びを知った彼女はソロで活動を開始し、ストックホルムの郊外の島にある自宅兼スタジオで曲作りを開始する。
1991年、テレグラム・レコードと契約。デビュー作となる「Memories of A Color(メモリーズ・オブ・ア・カラー)」をスウェーデンでリリース。その噂はたちまちヨーロッパ中に広まり、1992年以降には日本を含む世界中でリリースがされた。リリース時のインタビューでは「自分で聞き返してみると、とても幸せなアルバムだと思う。本当の私はこうじゃない。まだまだ心の奥底は表現できでいないのでしょうね。」と語っていた。
1994年にはセカンドアルバム「And She Closed Her Eyes(瞳の中で・・・)」をリリース。プロデューサーにエリック・ホームバーグを起用。デヴィッド・シルヴィアンやピーター・ガブリエルとの共演でも知られるトランペット奏者、ジョン・ハッセルが起用された影響も大きかっただろう。興行的にも大成功を納めた。
その後、収録曲の中の一つであり彼女の代表曲の一つでもある「Little Star」が映画「ロミオ+ジュリエット」のサウンドトラックに使用され、大きな話題となり、シングル「Little Star」が再リリースされた。
1995年には世界的に有名なコンポーサーVangelis(ヴァンゲリス)と共にシングル「Ask The Mountains」を制作。
同年9月、ニューヨークのブルックリンへ渡り、アントン・フィアーと共にシングル「Photographer's Wife」を制作。サウンドトラックとジャケットに書かれているが、この楽曲を使った映画は制作されていない。架空の映画のサウンドトラックということになるだろう。
1996年、問題作となる「Dynamite(ダイナマイト)」をリリース。ディストーションギターを全面に使用し、重厚なストリングスと歪んだベースやドラムが緊迫した世界観を生んだ。歌詞に至っても、「何もできなかった。あんなの私じゃない」「プライドだって捨てた。あなたの思い通り全部やってきた」「私は頭がおかしくなってきている」と、かなりせっぱ詰まった状況に彼女はいたのではないかと推測できる。更に「Mary Bell」では1968年に実際に起きた幼児殺人事件の話をベースに作品を制作した。
1998年、初のカヴァーアルバムとなる「People Are Strange(まぼろしの世界)」をリリース。ドアーズやロッド・スチュワート、プリンスやエルヴィス・プレスリーといった有名なポップシンガーの曲から、ほとんど知られていないような伝統音楽や古いフォークソングまでカヴァーした。(尚、この内「Swallow Strings」と「Come To Me」のみ彼女の自作曲である)
「私は図書館という場所がとても好きなの。そこには善悪を唱える人は誰もいない。子供の頃の私にとって、図書館は必要な休息地であり、邪魔されることなく考えを巡らすことのできる孤独で隔離された場所なの。」と語る彼女は、図書館で古い楽譜を読み、その音楽を聴き、自ら演奏して歌っていったという。それから彼女は、50曲ほどあった候補曲を20曲程度に減らし、コペンハーゲンでプロデューサーのイアン・ケイプルとともにレコーディングを行った。ここでは実験的な試みが常に行われ、マイクの距離を少しずつ変えて何度もボーカルを撮り直したり、部屋の窓を開けて、隣の部屋から聞こえてくるピアノの音を別の部屋から録音するなどが行われた。これは、作品に完全に反映され、CDなのにまるでアナログレコードで聴いているかのような特殊な磁場を生み出した。そして、例外なくすべての楽曲は原型をほとんど止めることなく、スティーナ独自の解釈により生まれ変わった。 この実験的な作品も、世間からの評価は冷たく、NMEといった音楽雑誌からもさんざん酷評された。
日本では、現代音響やノイズミュージックの先端をいくアーティストらをプロデューサーにいち早く起用するスタイルが有名なACOが、アルバム「irony」をリリースした際のインタビューで、「スティーナのまぼろしの世界(邦題)の影響を受けた。こんな作品を私も作りたかった」と語り、アイスランド出身のポストロックバンド、シガー・ロスのメンバーも「このアルバムを何度も聴き、影響を受けた。今でも聴くレコードの一つ」と語るなど、現代のシーンの先端を行く若手ミュージシャンにとてつもない影響を与えた作品だということが、リリースされてしばらく後になってから続々明らかになっていった。
2001年、それまで所属していたレコード会社を離れ、Sony Indipendente に移籍。アルバム「This Is Stina Nordenstam」をリリース。チャド・ブレイク、ミッチェル・フルームのコンビによるプロデュースを受け、斬新ながらポップミュージックに帰還した。スウェードのブレット・アンダーソンもボーカルで共演している。このアルバムを制作するにあたり、彼女のファンであるソニック・ユースのジム・オルークがプロデュースしたいと自ら立候補したが、実現されなかった。
インタビューなどのプロモーション活動を嫌う彼女を思ってか、レコード会社がアルバム収録曲すべてのビデオクリップを、それぞれ別の映像監督に作成させるプロジェクトを開始し、一本のDVDにまとめられた。映画祭などにも出品され公開されたが、あまりにも出来が悪かったらしく、一般販売は直前になって中止された。
レコード会社の失態はこれだけに止まらず、シングル「Sharon & Hope」に収録されるはずだったアルバム未収録の「Walking Too Fast」と「The Thing About Fire」をスティーナに無断で削除して販売したり、楽曲の権利を独自に管理したりした(日本でも、唯一この作品のみ国内盤が販売されていない)。そんなことが続いたせいか、スティーナはこのアルバムをリリース後、早々と Sony から離脱した。
2002年、有名なモデルという過去を持ちながら、人生のほとんどをホームレスとして生きたJean Claudeの生涯を描いたドキュメンタリー作品のサウンドトラックを作成。この中で「I'm Starring Out The World」や「Failling to Fly」、「The World Is Saved」といった、後のアルバムに収録される曲を作成。アルバムに収録されている音源とは違う(音の数が少ない)ので、少人数で別に録音したテイクだろう。現在に至るまでそれらの音源が一枚のCDとしてはリリースされておらず、数曲の未発表音源がこのフィルムの中に今も眠っている。
2004年、自らレーベル「A Walk In the Park」を設立し、V2レコードと契約。チャド・ブレイクを再び起用し、母国スウェーデンで制作したアルバム「The World Is Saved(ザ・ワールド・イズ・セイヴド)」をリリース。トランペットを使用した電子音響が話題のゴラン・カジフェスや、日本でも人気のグループTapeのベーシストのヨハン・バットリンクといったスウェーデン出身のミュージシャンを起用。前衛ジャズサウンドを取り込みつつ、バックで僅かに鳴り響く淡い電子音や絶妙なバランスで多重録音されたコーラス、そしてストリングスの音色が味わい深い一枚を作り上げた。(当初4月に発売される予定だったが、9月まで延期された。)
製作当時、自分の思ったような音にならず相当苦心したそうだが、前作でプロデュースを担当したチャド・ブレイクに相談して、そのほとんどが解決した。「チャドにおまかせしたら、私の手だけで作った音楽が、見事逆のものになって帰ってきた。それがね、私がずっと探してた音だったんだから、本当にびっくりした。」とスティーナが語っている。
日本国内盤をリリースしたP-VINEレコードが、マスター・テープの取り違えにより、録音ミスのままプレスされたCDを発売してしまう。P-VINEは無料交換を宣言、店頭からもすべて回収された。交換された良品の商品には、帯に赤い丸いシールが貼ってある。
同年、スウェーデンのラジオドラマ「Isens Fasor」で朗読と音楽制作を担当。全編スウェーデン語で収録された。
2005年、UFOに遭遇した人々の記録をもとに開催されたイベント「マガジン・プロジェクト」に参加。遭遇経験のある人々のインタビュー音声に彼女が制作した音楽を載せる仕事を担当。今までのスティーナからはかけ離れたヒップホップ調の激しい重低音のものから、「The World Is Saved」でみせたクラシックなストリングス、ミニマムな電子音響ものまで幅広く使用されている。途中、スティーナ本人の声による解説も入る。全編スウェーデン語。
2005年、スウェーデンの前衛演劇「タランチュラ」にて音楽制作を担当。この音楽にはスティーナのボーカルはない。
2006年2月、フィンランドの新聞で「スティーナがレコーディングを開始しており、2006年にリリースの予定がある」と掲載。が、現在に至るまでリリースの予定は一切ない。
ライブはしない[編集]
1991年にストックホルムでライブをして以来、その後彼女がライブを行ったという記録はほとんど残っていない。これについて、彼女はこう言っている。
- スティーナ「理由は色々あるんだけど、まずアルバムとしてレコーディングしたものをライブで再現するのはちょっと違うと思うのよ。だって、そもそもスタジオ・アルバムとライブって全く別次元のものじゃない?それと、ライブをやるのはエンターテイナーとかアクターに近い感覚だと思うの。ライブが好きな人は多いって言うか、きっとほとんどの人がそうなんだろうけど、わたしはそういう部分にはあまり興味がないわ。」
ビョークとの比較[編集]
彼女はデビューアルバムをリリースした時から、常々ビョークと比較され引き合いに出されてきた。確かに彼女の声質や、音楽に対する姿勢はビョークに似ている部分があるかもしれない。この点について、インタビュアーが以下のように質問し、スティーナは答えた。
- インタビュアー「あなたはしばしばビョークと比較されています。ビョークは科学者的な音楽に対する探求心があるが、あなたは非常に生理的、本能的な感覚で音楽に向き合っていあるように思えます。」
- スティーナ「ええ、きっとそうね。それに彼女はすごく外に向かうタイプだと思う。それが彼女のアーティステイックな支柱になっているのよ。それに、ライブも好きみたいだし。そういう意味では、私とは全然違うタイプの人じゃないかな。私はどっちかっていうと、自分自身と向き合うのが好きって言うか。自分が体験していることを実感して楽しむっていう。でも、それを外の世界に向けて知らせたいっていう欲求は、彼女ほどないの。」というコメントを残している。
ディスコグラフィー[編集]
アルバム
- Memories Of A Color(メモリーズ・オブ・ア・カラー)1991年
- And She Closed Her Eyes(瞳の中で・・・)1994年
- Dynamite(ダイナマイト)1996年
- People Are Strange(まぼろしの世界)1998年
- This Is Stina Nordenstam(日本未発売)2001年
- The World Is Saved(ザ・ワールド・セイヴド)2004年
- ニューアルバム 2006年発売予定と発表。延期される見通し。
シングル
- Memories Of A Color 1991年
- Another Story Girl 1991年
- Little Star1 1994年(アルバム未収録のFirst Day In Spring収録盤)
- Little Star2 1994年(リミックス3曲入り)
- Something Nice 1994年
- So This Is Goodbye 1994年
- Dynamite 1996年
- People Are Strange 1998年
- Sharon & Hope 2001年
- Lori Glory 2001年
- Get On With Your Life 2004年
- Parliament Square 2005年
- On Falling(リミックスは既に完成済み。発売中止?) ????年
コラボレーション
- A Room Full Of Flowers 1992年(Diveとの共作)
- Flow 1993年(Fleshquartetとの共作)
- Topaz 1993年(Monica Zetterlundへの楽曲提供、およびプロデュース)
- Voices 1995年(ヴァンゲリスとの共作。Ask The Mountainsを収録)
- Ask The Mountains 1996年(ヴァンゲリスとの共作)
- The Photographer's Wife 1996年(アントン・フィアーとの共作)
- To The Sea 1997年(Yelloとの共作)
- 5 Hours 4 Months and a Day 1997年(And She Closed Her Eyesでギターを担当したJohan Norbergとの共作 )
- Her Voice Is Beyond Her Years 2000年(スティーナの大ファンである、ミューのボーカリストがスティーナの為に書き下ろした楽曲。コーラスで参加。シングルバージョンとアルバムバージョンあり)
- Aberdeen Soundtrack 2000年(映画のサントラ。4曲を書き下ろし、スティーナがボーカルを担当)
- Frengers 2001年(ミューとの共作。Her Voice Is Beyond Her Yearsを収録)
- Chasing Dorotea 2002年(チェシング・ドロテーアとの共作)
- Snow Born Sorrows(スノー・ボーン・ソローズ)2006年(デヴィッド・シルヴィアンらによるナイン・ホーセスとの共作。日本国内版のみスティーナの未発表曲収録)
- Wonderful World 2006年(ナイン・ホーセスとの共作。アルバムとはバージョン違いで収録)
- Into The Wasteland 2006年(イントゥー・ザ・ウェイストランド)(フィルーとの共作)
- Money For All 2006年(ナイン・ホーセスとの共作。収録されているBirds Sing For Their LivesはSnow Born Sorrows国内盤収録のボーナストラックと同じもの。wonderful worldのremixも収録)
- Into The Wasteland 2007年(フィルーとの共作。2006年のアルバムからのシングルカット。Remixを収録)
カヴァー
- The Knife - Soon After Christmas
- Sarah Brightman - Murder In Mairyland Park
- Amusement Parks On Fire - Hopefully Yours
- Walkabouts - And She Closed Her Eyes
- Tori Amos - Under Your Command
- Andre Herman - The Man With The Gun
- David Sandstrom - Get On With Your Life