コンスタンティノープル包囲戦の一覧

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1453年のコンスタンティノープルの陥落を描いた当時の細密画

東ローマ帝国の歴史上、コンスタンティノープル包囲戦と呼ばれる包囲戦が数多く存在する。その中でコンスタンティノープルが軍事的に完全に陥落したのは、1204年の第4次十字軍によるコンスタンティノープルの奪取と、1453年のオスマン帝国によるコンスタンティノープルの陥落、この2回のみである。本項では、20回以上に及ぶ東ローマ帝国首都コンスタンティノープルの攻防戦に、前身のビュザンティオンビザンティウムで行われた包囲戦を加えて列挙する。

古代ビュザンティオン・ビザンティウム[編集]

ビュザンティオンは従来アケメネス朝に服属していたが、紀元前478年にギリシア連合軍に奪取され、以降その勢力圏となった。

以降の包囲戦は、ローマ帝国の防衛戦もしくはその内乱中の戦闘である。

諸勢力の攻撃[編集]

以降の包囲戦は、原則東ローマ帝国の防衛線もしくはその内乱中の戦闘である(1235年~1261年のラテン帝国期を除く)。

ルーシ族の攻撃[編集]

東ローマ帝国の内戦[編集]

十字軍の攻撃[編集]

ニカイア帝国の攻撃[編集]

東ローマ帝国の亡命政権ニカイア帝国は、ラテン帝国との数度の戦争の末にコンスタンティノープルを奪回、東ローマ帝国を復活させた。

オスマン帝国の攻撃[編集]

関連項目[編集]