グラシュティン

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グラシュティン[1]グラシュタンマン島語: glashtin[2][3][4][5]、glashan[6]、glaistyn、glastyn[7][注 1])は、マン島民間伝承につたわる伝説の妖精。

語源はケルト語系で「小川」または「海」を意味する単語[注 2]から由来すると考えられている[8][9]

概要[編集]

グラシュタンは、水棲のゴブリンの類が[2]、ときおり人里に出てきて島民とかかわるという説明と[10]、水馬[3]であるという説明が混在しており、まとまりを欠いている。

変身能力説[編集]

しかし、マン島のグラシュティンは、≪姿かたちを変身させられる≫と仮定すれば、二つを両立させることができるようになってくる。近年の解説書では、本来は馬形の妖怪だが、人間に化けることもできる、しかし≪馬のような長くとがった耳を変えることができない≫[11]などとされている。

ある一篇の民話では、漁夫の娘がグラシュティンの正体をその馬耳から見破った。グラシュティンが真珠の首飾りで誘惑してたぶらかそうとするのを拒み、赤い雄鶏が鳴いて夜明けを告げるまで辛抱強くこらえて追い払った[12]。この話中では、グラシュティンは、「堆肥・家畜の糞を積み上げた山」("dunghill")に乗っかれば、いつでも変身できるとされている。

女性好きの魔物[編集]

近年では、グラシュティンは、黒髪の容姿端麗な若者としてイメージされているようであり[要出典]、色目をつかって乙女を陥れる存在のようである。

従来の民間伝承でも、#グラシャンの異表記で伝わる話では、この妖精たちは女性に興味津々で、≪女性の衣服をつかんではなさず引きちぎったりする≫など、女性に執拗にまとわりつく様子が描かれている(以下、#女性の裾端を引っ掴む魔物の節を参照)。

旧来の民間伝承収集書籍[編集]

早期の頃にマン島で民話や民間伝承を収集をおこなった作家たちには、≪この妖精は馬から人間風へと変身し両方の姿が見られる≫、というような便利な理屈づけは介在していなかった。実際には、「グラシュティンは何か?」と民間人に問えば、情報源によって、ずいぶん違った説明が返ってきたのであり(以下#ジョセフ・トレイン#カーヴァル・ウシュタの節の具体例を参照)、ある者はフェノゼリーのような妖精だと言えば、他の者は水馬(カーヴァル・ウシュタ)だと言ってゆずらなかった。このような整合のつかない二重性格性は、スカンジナビアの水馬か妖精のニュッケン英語版のケースにもみられる。

ジョセフ・トレイン[編集]

トレインが著したマン島歴史(1845年)[3]は、グラシュティンについての最も早い記述のひとつである。しかしそれは一貫性を欠いている。

まずあるくだりでは、グラシュティンを「水馬」("water-horse")だとしており、この「海棲グラシュティン」 ("sea-glashtin")[13]は、その生息海域から出てきて、地元の陸地を駆けまわる馬たちと入り混じり、交配種の仔馬をつくるというのだ。先人の郷土史家ジョージ・ウォルドロン英語版は、そのような馬がいると伝えていないが、同じ習性もつ水牛("water-bull")がいると記している(以下#タルー・ウシュタ参照)。

ところがトレインは別のくだりでは、マン島で有名な「ホム・ムール」(?)[14](Hom Mooar; 英訳すると「ビッグ・トム」の意で、妖精のフィドル(ヴァイオリン)弾きである[15])も、グラシュティンの類だったと説明した[16]

トレインが紹介するホム・ムールにまつわる話によれば、ある人がこの不思議な音楽につられて、「妖精の饗宴」に誘われたが、勧められた酒肴を振り切って、銀杯を手に入れた。その器は、いまでもマルー英語版教会[注 3]聖別酒のために使われている、という伝承がのこっているという。ところがトレインの引用元(ウォルドロンの著述)では、この演奏をおこなった魔物(?)のことを、とくにグラシュティンともホム・ムールだとも特定はしていない[17]。この話は、カイトリー英語版トマス・カイトリー 『妖精の誕生 フェアリー神話学』 市場泰男 (訳)、社会思想社、1882年にも収録されている[18])。

トレインはスコットランド出身者で、ウォルター・スコットのための故事資料調査に尽力した人物であるが、これはその晩年の頃の作品である[19]。トレインは、マン島の出身者ではないので、地元の人間に資料を集めさせ、「マンクスの迷信について記述の写本」にまとめさせて使用したとする[20]

タルー・ウシュタ[編集]

タルー・ウシュタ[21][注 4]マン島語: tarroo-ushtey。「水の牛」[25]

18世紀の郷土史家ジョージ・ウォルドロンの説明によれば、島民の間で信心されている「水牛(水棲の牡牛)」("Water-Bull")は、「水陸両生の生き物」("amphibious creature")であり、天然産の牡牛となんら姿かたちに変異はないが、これと交尾したメス(牝牛)は、形の崩れた「骨のない肉と皮の塊」しか産み落とさず、母体も出産のときにたいがいが死んでしまうという。ウォルドロン本人の隣人も、飼い牛の群れに、はぐれ牡牛が紛れ込んだが、かの水牛にちがいないと疑った牛主は、男衆を集めてピッチフォークやらで武装して牛を追い立てたが、その牛は川に飛び込んで逃れ、ときおり嘲るように頭を浮かせていたという[25]。後年にこの水牛について、現地名のタルー・ウシュタの名で発表したのはトレインである。

カーヴァル・ウシュタ[編集]

カーヴァル・ウシュタ[26][27]マン島語: cabyll-ushtey, cabbyl ushtey。「水馬」[27])。

マン島が輩出した碩学アーサー・ウィリアム・ムーア英語版も、民間伝承の著作(Folk lore, 1891年)に手を染めたが、グラシュティンの二重性をまぬかれることはできず、一方ではそれを「毛深いゴブリンかスプライト(精霊)」の一種とし[28]、他方ではグラシュティンとは水馬「カーヴァル・ウシュタ」の別名だとした[29]。「水馬」については、トレインが英名しか使わなかったのを、ムーアがマンクス語名で発表した。

ムーアによれば、1859年に バリュア英語版の谷で水馬の目撃報告が出て、近くのラムジー英語版から一目見ようと人が殺到したが、誰も見かけることはできなかった(ジェンキンソン著作より転載。ラムジー在住の農夫の妻の報告[30] )。

また、グレンメイ英語版[注 5]の滝(モリソン集にある異話では「メイ渓谷の滝」と称す場所)の伝説によれば、そこには幽霊が出没し、妖魔に殺されたのだと訴えかけるのだという。その幽霊は、生前の頃に名馬と信じていた馬をもっていたが、うっかりまたがったところ、正体はグラシュティンまたはカーヴァル・ウシュタであり、そのまま海にひきずりこまれて溺れ死んだという。[31]

このように、人の命を奪う例もあるが、マキロップの事典などでは、スコットランド・ゲール語民話のアハ・イシュケ (Each-uisge (エフ・ウシュケ(?))よりも穏健な妖怪だと評している[32]。もっとも民話実例に乏しいとも、併記されている。

グラシャン[編集]

スコットランドの民俗学者J. F. キャンベル は、離れ小島のカフ・オブ・マン英語版に住んでいる老婆から、マン島南部ので伝わる、グラシャン (glashan)という異表記の妖怪についての話を収集した。老婆の語るグラシャンは、放牧された羊を羊舎に集めたり、麦穂の束を解いておけば脱穀してくれる、農夫の助ける存在であるが[33]、これは他のマン島人によればフェノゼリーという妖精が持ちあわす気質である[34]

女性の裾端を引っ掴む魔物[編集]

老婆の話のつづきには次のようなエピソードがある:島のある女性がグラシャンに追いかけられて捕まってしまい、衣服をぎゅっとつかんで放さないその魔物のとりこになってしまった。しかし、そいつが居眠りする間にドレスを切り離して、まんまと逃げおおせた。目を覚ましたグラシャンは、手にした切れ端をくやしそうに投げ捨て、聞き手のキャンベルには聞き取れなかったマンクス語で、何か悪態をついたのだそうだ。じつは、同種の話は、チャールズ・ローダー(C. Roeder)が採集しており、そこでは捕まった女性がエプロンの緒をゆるめてグラシュティンを振りほどき、魔物は、「着物の端っこ、つかまされた、サンプルきりしか、手に入らなかった (Rumbyl, rumbyl, cha vel ayms agh yn sampyl)」とくやしがった[35]。同じモチーフは、モリソン集の「メイ渓谷の滝のバゲイン」 [36]にもみられる。

ウェールズの神話学者ジョン・リース英語版もマン島の民間伝承の考察をおこなっているが、リース教授の情報源も、ある者はグラシュティンをブラウニーのような存在として語り、他の者は「夜半に湖畔に出没する灰色の若い牡馬」だと確信していた[37]

関連項目[編集]

(スコットランドの民話)
(ウェールズの民話)
(マン島の民話)
(北欧の民話)

脚注[編集]

補注[編集]

  1. ^ 発音: [ˈɡlæʃtɪn] (?) [ˈɡlæʃtən](?)
  2. ^ 古アイルランド語 glais, glaise, glas "a stream, streamlet, rivulet, current : common in place-names" eDILに相当
  3. ^ Kirk-Merlugh
  4. ^ 発音は、正確には「タルー・ウシュチャ」/taru ˈuʃtʲə/ のようである: /ʌʃtʃə/ [22][23] /ˈush-cha/; [24]
  5. ^ "Glenmaye"だが、原文では"Glen Meay"と異表記

出典[編集]

  1. ^ 井村君江2008 索引公開ページより
  2. ^ a b Cregeen 1835マン語辞典 p.79, "Glashtin, sm a goblin, a sprite"
  3. ^ a b c Train 1845,p.147
  4. ^ Moore 1891, p. 52
  5. ^ Roeder 1895-1901, Contribb. to Mx. Folk Lore, p.?
  6. ^ Campbell 1860, vol.1, p.liii-liv
  7. ^ Mackillop 1998ケルト神話辞典
  8. ^ Blind 1881, p.204 "In the Isle of Man.. the Water-Horse under the name of Glashtin, Glashtan, or Glashan (glaise, glais, or glas in Keltic speech, signifies a small stream; glas also the sea)
  9. ^ Kneen 1925, "Chapter:Parish of Kirk Lonan" ここでは Mullenbeg("little mill"の意)という地名について項目がおかれているが、その地名には Nikkesen (nikasan)という異名があり、後者はスカンジナビアの水精 nykr にまつわる名であるが、マン島の水精 glashan か glashtin は glas 'a stream'の語源から来ていると説明する。
  10. ^ Cregeen 1866, Dict.: Kelly has "it a goblin, an imaginary animal which rises out of the water"(Roeder 1895-1901で引用されている)
  11. ^ Mackillop 1998, "(in) human form..could not hide his horse's ears."
  12. ^ Matthews & Matthews 2006, Element Enc. of Mag. Creatures: "A girl was left alone in her cottage when her father went to market to sell his fish..")
  13. ^ Trian 1845, p.142 の章の冒頭の見出しに"the Sea-Glashtin"
  14. ^ wiktionary:mooar; IPA: /muːr/, /muːɹ̝/, /muːə̯/, /muː/
  15. ^ Moore & Morrison 1924, p. 83, "A Vocabulary of the Anglo-Manx Dialect"の "Hom" の項で"Big Tom"の意訳と, "fairy fiddler"だとの説明がされる
  16. ^ Train 1845, p. 154
  17. ^ Waldron 1744 (2nd ed.), p.54-55
  18. ^ 再版:文元社 2004年 (教養ワイドコレクション)。 原書は Keitley, Fairy Mythology", p.399, "The Fairy Banquet"。
  19. ^ Sidney Lee (1899), “Train, Joseph, 1779-1852” (google), Dictionary of National Biography (London: Smith, Elder) LVII (Tom-Tytler): p. 151, http://books.google.co.jp/books?id=quqvjetrTsIC&pg=PA151 
  20. ^ Train 1845, p.147, n1, はMS Account of Manks Superstion
  21. ^ 「カーヴァル・ウシュタ」からのカナ表記の応用
  22. ^ John Joseph Kneen (1931) (snippet), A Grammar of the Manx language, p. 46, http://books.google.co.jp/books?id=V__VAAAAMAAJ 
  23. ^ Feegan's Lounge Isle of Man”. 2012年3月14日閲覧。
  24. ^ gaelg.iofm.net "Lesson B2"”. 2012年3月14日閲覧。 /USH-cha/
  25. ^ a b "water bull," Waldron 1744,Hist. and Desc." (2nd ed.), p.84-6
  26. ^ 井村君江2008 索引公開ページより
  27. ^ a b Jennifer Draskau (2008) (preview), Practical Manx, p. 223, http://books.google.co.jp/books?id=Hv2HdGLli4kC&pg=PA223 , /ˈkaːvəl// ('kavul') horse"
  28. ^ Moore 1891,Folk-lore", p.52, "a hairy goblin or sprite", "..they combine the attributes.. of..Brownie, and.. and Troll, though the Glashtin seems to be a water-horse, also"
  29. ^ Moore 1896, p. 53
  30. ^ Jenkinson 1874, pp. 151—2, "respectable farmer's wife from Ramsey told us that fifteen years ago,.." つまりムーア(Moore 1891)は、出版年から15年引き算して1859年としたのである。
  31. ^ Jenkinson 1874, p. 152; Moore 1891
  32. ^ Mackillop 1998事典 , cabyll-ushtey "The Manx *each uisce or water-horse. Not as dangerous or greedy as its Highland counterpart.. appears in relatively few folk narratives. It might seize cows and tear them.. stampede horses, or steal children. Folk motif B17.2.1 (Hostile sea-beasts)
  33. ^ Campbell 1860, p. liii-v
  34. ^ Rhys は、間接的にこの類似性を指摘する。老婆の話は、ローダーの記事にあるグラシュティンの記述と大変よく似ているのだが、Rhys 1901によれば、ローダーは「グラシュティンの名を借りてフェノゼリーのことを( "about the fenodyree under the name of glashtyn")」語っていると断じている。
  35. ^ Roeder 1895-1901, in Yn Lior Manninagh
  36. ^ ソフィア・モリソン 1994。原典Morrison 1911, "The Buggane of the Glen Meay Waterfall"
  37. ^ Rhys 1901, p. 286, "a sort of grey colt, fequenting the banks of lakes at night"

参考文献[編集]

  • 井村君江 『妖精学大全』 東京書籍、2008年 ここでは「グラシュティン」
  • ソフィア・モリソン、ノーマン・セイル 絵; ニコルズ恵美子訳 ; 山内玲子監訳 「メイ渓谷の滝のバゲイン」、『マン島の妖精物語』 (筑摩書房)、1994年 
(マン語辞典・ケルト事典)
(語源の典拠)
(物語を所収する旧来書籍)

pp.129-; pp.134-191