クセノポン
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クセノポンまたはクセノフォン クセノポーン(Ξενοφῶν、Xenophon、紀元前427年?-紀元前355年?)は、古代ギリシアの軍人、著述家。アテナイの騎士階級の出身。
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[編集] ソクラテスとの関係
クセノポンは、ソクラテスの弟子で、『ソクラテスの思い出』という書を著した。彼は哲学者ではないため、この書において、ソクラテスの哲学の内容にまでは踏み込めていない。しかしその反面、プラトンのように、ソクラテスの口から自分の考えを述べさせるようなことを行っていないため、ソクラテスの実際の言行を知るには、この書がもっともよいとされている。
クセノポンがソクラテスの弟子になるにあたっては、次のようなことがあったと、ディオゲネス・ラエルティオス著の『ギリシア哲学者列伝』(第2巻第6章)に書かれている。
青年時代、アテナイの町を歩いていると、ソクラテスがやってきて、杖でクセノポンの行く手を阻んだ。ソクラテスは、青年クセノポンに尋ねる。「○○を手に入れるには、どこに行けばよいか知っているか?」。クセノポンが答えると、ソクラテスは畳み掛けるように、さまざまな食料品についてこの質問を繰り返した。クセノポンがいちいちそれに答えると、最後にソクラテスはこう言った。「では、立派な人になるためには、どこに行けばよいか知っているか?」。クセノポンが答えられないでいると、ソクラテスはこう言った。「では、私のところに来て、勉強しなさい」。クセノポンは、この時以降、ソクラテスの弟子になったという。
[編集] アナバシス
詳細は「アナバシス」を参照
彼は若いころ、ペルシア王の子キュロスが雇ったギリシア傭兵に参加した(紀元前401年~紀元前399年)。クセノポンがこのことについてソクラテスに相談すると、ソクラテスは「神様にお伺いをたてろ」と言った。しかしクセノポンは「参加するにあたっては、どの神にお供えをすればいいか」とお伺いをたててしまい、その答えを聞いてしまった。クセノポンは参加したくてたまらなかったのであろう。ソクラテスはしかたなく「『参加するにあたっては』、とお伺いを立ててしまった以上、神様にうそはつけない」として、参加を許したという。しかし、このおかげでクセノポンは師の死(紀元前399年)に立ち会うことができなかった。
『アナバシス』はギリシア傭兵たちがまとめてスパルタに雇われることで終わるが、クセノポンは、そのままスパルタ軍の一員として活躍したようである。だが、アテナイの同盟国であったテーベ軍との戦争に加担する事になり、とうとうアテナイ軍を敵にまわして戦うはめになってしまった。
このため、クセノポンはペロポネソス戦争当時の敵国であったスパルタに加担して、祖国に弓を引いたということで、アテナイを追放される。追放されたクセノポンはスパルタからオリュムピア近くのスキルスに荘園をもらって住み、悠々自適の生活を送りつつ、狩猟や著述にいそしんだという。その後情勢が変わってテーベがスパルタを破ってスキルスを占領したためにクセノポンはスキルスを追われる事になる。だが、皮肉にも今度はテーベの台頭を恐れたアテナイとスパルタが同盟を結んだために、追放が解かれたクセノポンはアテナイに帰ることが出来た。没年は定かではない。
[編集] 著作
- 『アナバシス』 松平千秋訳 筑摩書房、新版が岩波文庫
- 『ソクラテスの思い出』(メモラビリア) 佐々木理訳で岩波文庫、訳文は古い
- 『ソクラテス言行録』(メモラビリア)他、『饗宴』『家政論』『ソクラテスの弁明』
- 『饗宴』(シュンポシオン) 船木英哲訳で文芸社
- 『ソクラテスの弁明』(アポロギア、プラトンにも同名の著作がある) 同
- 『家政論』
- 『ギリシア史』(ヘレニカ) 根本英世訳で(西洋古典叢書全2巻)
- 『キュロスの教育』 松本仁助訳 (西洋古典叢書)
- 『ヒエロンまたは僭主的な人』 松本仁助訳で「クセノポン小品集」(西洋古典叢書)の一章
- 『アゲシラオス』 同
- 『馬術について』 同
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- 田中秀央ほか訳で「クセノポーンの馬術」新版:恒星社厚生閣もある
- なお「クセノポン小品集」(西洋古典叢書)は他に、「ラケダイモン人の国制、政府の財源、騎兵隊長について、狩猟について、アテナイ人の国制、スコリア(古注)」

