ガーバハレ

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ガーバハレ
座標: 北緯3度21分 東経42度16分 / 北緯3.350度 東経42.267度 / 3.350; 42.267
ソマリアの旗 ソマリア
行政区画 ゲド州
人口
 - 計 約43,000人
等時帯 東アフリカ時間 (UTC+3)
ガーバハレの位置
ガーバハレ
ルーク
ベレドハーオ
バルデラ
関連地図

ガーバハレ(Garbahaarey, Garbaharey, Garbahaarreey, Garbaharey, Garba Harre)はソマリアゲド州の行政中心都市。ケニア北東州の境から南東約130キロメートルの位置にある。ソマリア内戦のため、住民の多くはケニア国境の町ベレドハーオ英語版に避難している。

人口[編集]

ガーバハレの人口は約4万3千と推定されており、住民の大半はソマリ族の主要氏族ダロッドの支族であるマレハン英語版である。ただしマレハンの下位支族レベルではいくつかに分かれている。住民は周辺集落と盛んに行き来をしており、特に天災や紛争の際には多い。周辺の町としては例えばトゥーロ・バルワーコなどがある。ソマリア内戦が本格化して無政府状態となった1991年から1994年にかけては、周辺の20以上の村に分かれて避難が行われた。

産業[編集]

ガーバハレは人口が比較的少なく、農業適地も少ない。さらにソマリア内戦もあり、住民の多くはガーバハレの北西にあるケニア国境の町ベレドハーオ英語版に避難し、子供をケニアの都市マンデラの学校に行かせている。産業もベレドハーオの方が盛んになっている。

一方、ガーバハレの南にあるソマリア南部の大都市バルデラ周辺は、ジュバ川の水を利用した農業が盛んである。ガーバハレには、マンデラとバルデラとの交易中継地としての役割がある。

歴史[編集]

ソマリア内戦前、ゲド州の知事モハメド・アブディヌール(Mohamed Abdinur (Iris))は公共事業に力を入れており、その一環としてガーバハレなどに全寮制の学校を建設している。

ソマリア内戦勃発当時、ガーバハレは国外追放されたソマリア第3代大統領モハメド・シアド・バーレを支持する軍閥ソマリ国民戦線英語版の本拠地の一つだった。1998年にはバーレの親派でダロッド氏族出身のモハメド・サイド・ヘルシ・モーガン英語版率いる軍閥の支配下となっている。

2001年にはマレハン氏族が中心の軍閥ジュバ渓谷連合英語版の支配下となり、一時ジュバランドとして独立を宣言している。間もなくジュバ渓谷連合はソマリア暫定連邦政府への参加を表明したため、ガーバハレもソマリア暫定連邦政府の支配下となった。ガーバハレは形式的には再びゲド州の行政中心地となったが、内戦による人口減少のため、この地域の重要都市は依然としてルークベレドハーオ英語版である。2007年9月にはガーバハレでゲド州の知事の選定が行われており、政府中央から推薦されたフセイン・シェイハ・アブディ(Hussein Sheikh Abdi)を抑えてアダン・イブラヒム・オヘルシ(Adan Ibrahim O'Hersi)が就任している[1]

2008年7月、イスラーム武装勢力アル・シャバブがガーバハレを支配した。2009年1月初頭にエチオピア軍がアル・シャバブから一時ガーバハレを奪い取ったものの[2]、その数日後、ガーバハレ市長のアフメド・アブダレ・マガン(Ahmed Abdalle Magan)がイスラーム武装勢力に殺害されている[3]。エチオピアはソマリア内戦に過度に介入する意思が無く、間もなく撤退して結局はアル・シャバブの支配下となっている。2010年1月、国際連合世界食糧計画(WFP)はアル・シャバブ支配地域からの一時撤退を表明、ガーバハレなど6都市から事務所を引き上げている[4]

2011年4月末には暫定政府寄りの軍閥アル・スンナ・ワル・ジャマーアル・シャバブからガーバハレを奪い[5]、その後しばらく戦闘が行われたが[6]、現在はアル・スンナ・ワル・ジャマーが占領しており、ソマリア連邦政府の統治領域の位置付けである。

施設[編集]

ガーバハレには比較的大きな空港がある。IATAコードはGBMで、滑走路は3,100フィート (940 m)。

出身人物[編集]

脚注[編集]