エトムント・ランダウ

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エトムント・ランダウ, 1877年-1938年
エトムント・ランダウ, 1877年-1938年

エトムント・ゲーオルク・ヘルマン・ランダウEdmund Georg Hermann Landau1877年2月14日 - 1938年2月19日)は、ドイツユダヤ系数学者。主な業績は、解析的整数論におけるもの。

1909年ヘルマン・ミンコフスキーの後任として、ゲッティンゲン大学に招聘される。そこで彼は、ダフィット・ヒルベルトフェリックス・クラインといった著名な同僚たちと対等な立場で教鞭をとった。その後、1933年、彼はユダヤ系の出自のため、ナチスよりの学生たちから講義をボイコットされ、1934年には、時期尚早にもかかわらず引退を強要された。その死の直前まで、散発的ではあるが、ブリュッセルケンブリッジで教鞭をとっていた。ランダウの記号を広めた。

教科書を数多く執筆。多くは英訳され、非常に明快で分かりやすいとされる。