エトムント・ランダウ
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| Edmund Landau | |
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Edmund Landau
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| 人物情報 | |
| 誕生 | 1877年2月14日 ベルリン, ドイツ |
| 死没 | 1938年2月19日(61歳) ベルリン, ドイツ |
| 国籍 | ドイツ帝国 |
| 学問 | |
| 研究分野 | 数論 複素解析 |
| 研究機関 | ベルリン大学 ゲッティンゲン大学 エルサレム・ヘブライ大学 |
| 母校 | ベルリン大学 |
| 博士課程 指導教員 |
ゲオルク・フロベニウス ラザラス・フックス |
| 博士課程 指導学生 |
パウル・ベルナイス ハラルト・ボーア ハンス・ハイルブロン ダンハム・ジャクソン アレクサンダー・オストロフスキー カール・ジーゲル アーノルド・ウォルフィッツ |
| 主な業績 | 素数定理 |
エトムント・ゲーオルク・ヘルマン・ランダウ(Edmund Georg Hermann Landau、1877年2月14日 - 1938年2月19日)は、ドイツのユダヤ系の数学者。主な業績は、解析的整数論におけるもの。
1909年、ヘルマン・ミンコフスキーの後任として、ゲッティンゲン大学に招聘される。そこで彼は、ダフィット・ヒルベルト、フェリックス・クラインといった著名な同僚たちと対等な立場で教鞭をとった。その後、1933年、彼はユダヤ系の出自のため、ナチスよりの学生たちから講義をボイコットされ、1934年には、時期尚早にもかかわらず引退を強要された。その死の直前まで、散発的ではあるが、ブリュッセルやケンブリッジで教鞭をとっていた。ランダウの記号を広めた。
教科書を数多く執筆。多くは英訳され、非常に明快で分かりやすいとされる。