にっかり青江
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備中青江(びっちゅうあおえ)、別称にっかり青江(にっかりあおえ)は、備中青江派作の日本刀(大脇差)。
丸亀藩主である京極家に秘蔵され、1940年(昭和15年)に重要美術品に認定。太平洋戦争後に流出するが、1997年(平成9年)に丸亀市が購入し、現在は丸亀市立資料館に所蔵されている。
元は2尺5寸(約75cm)の太刀だったが、2尺(約60cm)の刀、さらに1尺9寸9分にまで磨りあげられた。
江戸時代に刀剣極所の本阿弥家の鑑定により無代(値が付けられないほどの極上品)とされた。
名称の由来は、にっかり笑う女の幽霊を切り捨てて、翌朝確認をしたら石塔が真っ二つになっていたという伝説から付いた。切ったとされる武士は、中島修理太夫・九理太夫兄弟、浅野長政の家臣、六角義賢に仕えた狛丹後守の3説がある。この武士から柴田勝家に所有が移り、子の柴田勝敏に譲られた。さらに柴田勝敏を討った丹羽長秀から豊臣秀吉に献上され、子の豊臣秀頼から京極高次に与えられたと考えられる。
讃岐京極家にはこんな狂歌が残る、「京極にすぎたるものが三つある にっかり茶壺に多賀越中」。 茶壺とは野々村仁成作の茶壺で、京極家には他の大名家がうらやむような名品が数多くあり、国宝指定されているものもある。 多賀越中とは佐々木京極氏が近江にある頃から仕えた重臣で、幕藩時代を通じ代々多賀越中某と名乗り、江戸時代は家老職を務めた。