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1901年に[[北海道]][[札幌市]]に生まれる。東京府立第一中学校(現[[東京都立日比谷高等学校]])などを経て、1921年[[東京大学|東京帝国大学]]理学部化学科に入学。在学時代から触媒の研究をはじめ、[[理化学研究所]]で[[物理学]]の先駆者と位置付けられる[[片山正夫]]の研究室で[[有機溶媒]]に対する気体の溶解度を研究した。1925年に大学を卒業した後、1931年に英文の重要な基礎データになった測定結果を発表する。
1901年に[[北海道]][[札幌市]]に生まれる。東京府立第一中学校(現[[東京都立日比谷高等学校]])などを経て、1921年[[東京大学|東京帝国大学]]理学部化学科に入学。在学時代から触媒の研究をはじめ、[[理化学研究所]]で[[物理学]]の先駆者と位置付けられる[[片山正夫]]の研究室で[[有機溶媒]]に対する気体の溶解度を研究した。1925年に大学を卒業した後、1931年に英文の重要な基礎データになった測定結果を発表する。


1932年に欧州にわたり研究活動を行う。[[ドイツ]]の[[ゲッティンゲン大学]]でオイケン教授の下で分子振動の研究を行う。当時[[フリッツ・ハーバー]]研究所所長だった[[マイケル・ポランニー]]と共に、1933年に[[イギリス]]の[[マンチェスター大学]]に名誉研究員として渡り、[[水素電極反応]]の研究を行った。この背景にドイツは[[アドルフ・ヒトラー]]が政権を取ったこともあった<ref>{{PDFlink|[https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/29992/1/bukyokusi_p1251-1309.pdf 北大百年史, 部局史: 1251-1309]}}</ref>。
1932年に欧州にわたり研究活動を行う。[[ドイツ]]の[[ゲッティンゲン大学]]でオイケン教授の下で分子振動の研究を行う。当時[[フリッツ・ハーバー]]研究所所長だった[[マイケル・ポランニー]]と共に、1933年に[[イギリス]]の[[マンチェスター大学]]に名誉研究員として渡り、[[水素電極反応]]の研究を行った。この背景にドイツは[[アドルフ・ヒトラー]]が政権を取ったこともあった<ref>{{Cite journal|和書|author= |title=触媒研究所. 一 触媒化学と化学工業. 二 触媒研究所の設置. 三 触媒研究所の概要. 四 触媒研究所拡充期成会. 五 研究内容の概略. 六 研究成果. 七 紀要『触媒』及び『JRIC』の刊行. 八 触媒学会誕生と触媒研究所. 九 研究交流. あとがき. 年表 |journal=北大百年史 |publisher=北海道大学 |year=1980 |month=mar |issue=部局史 |pages=1251-1309 |naid=120000965572 |url=https://hdl.handle.net/2115/29992}}</ref>。


1935年に帰国して、[[北海道大学|北海道帝国大学]][[北海道大学大学院理学研究院・大学院理学院・理学部|理学部]]の教授に就任する。1940年に化学反応速度論の理論及実験的研究により[[恩賜賞 (日本学士院)|日本学士院の恩賜賞]]を受賞。1943年に北海道大学触媒研究所(現・[[北海道大学触媒科学研究所]])を設立して、主に[[反応速度論]]の研究を行う。水素電極反応、[[エチレン]]の[[水素添加]]、[[化学量数概念]]などについて重要な研究を行い、結果として化学反応速度論、[[触媒化学]]研究の方法の確立に大きく貢献した。
1935年に帰国して、[[北海道大学|北海道帝国大学]][[北海道大学大学院理学研究院・大学院理学院・理学部|理学部]]の教授に就任する。1940年に化学反応速度論の理論及実験的研究により[[恩賜賞 (日本学士院)|日本学士院の恩賜賞]]を受賞。1943年に北海道大学触媒研究所(現・[[北海道大学触媒科学研究所]])を設立して、主に[[反応速度論]]の研究を行う。水素電極反応、[[エチレン]]の[[水素添加]]、[[化学量数概念]]などについて重要な研究を行い、結果として化学反応速度論、[[触媒化学]]研究の方法の確立に大きく貢献した。
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== 主要論文 ==
== 主要論文 ==
* 堀内壽郎、[https://doi.org/10.1246/nikkashi1921.47.587 氣體液體の共存状態に於ける分子容の關係に就て] 日本化學會誌 1926 47 p.587-606, {{doi|10.1246/nikkashi1921.47.587}}
* {{Cite journal|和書|author=堀内壽郎 |title=氣體液體の共存状態に於ける分子容の關係に就て |journal=日本化學會誌 |ISSN=0369-4208 |publisher=The Chemical Society of Japan |year=1926 |issue=47 |pages=587-606 |naid=130003986367 |doi=10.1246/nikkashi1921.47.587}}
* {{Cite journal|和書|author=堀内壽郎, 岡本剛 |title=水素電極反応の理論 |journal=電氣化學 |ISSN=0366-9440 |publisher=電気化学会 |year=1937 |volume=5 |issue=10 |pages=368-379 |naid=130007747841 |doi=10.5796/denka.5.368}}
* 堀内壽郎, 廣田鋼藏、[https://doi.org/10.11470/oubutsu1932.8.266 水素を吸收したパラヂウム線の電氣的性質] 応用物理 1939 8 6 p.266-268, {{doi|10.11470/oubutsu1932.8.266}}
* {{Cite journal|和書|author=堀内壽郎, 廣田鋼藏 |title=水素を吸收したパラヂウム線の電氣的性質 |journal=応用物理 |ISSN=0369-8009 |publisher=応用物理学会 |year=1939 |volume=8 |issue=6 |pages=266-268 |naid=130003594639 |doi=10.11470/oubutsu1932.8.266}}
* 堀内寿郎、田部浩三、田中一範、[https://doi.org/10.3769/radioisotopes.3.13 放射性塩素による触媒の研究] 『RADIOISOTOPES.』 1954年 3巻 1号 p.13-15, {{doi|10.3769/radioisotopes.3.13}}
* {{Cite journal|和書|author=堀内寿郎 |title=水性ガス反応の理論 |journal=触媒 |ISSN=05598958 |publisher=北海道大學觸媒研究所 |year=1952 |month=mar |issue=8 |pages=58-78 |naid=120000968484}}
* {{Cite journal|和書|author=堀内寿郎, 田部浩三, 田中一範 |title=放射性塩素による触媒の研究 |journal=RADIOISOTOPES |ISSN=0033-8303 |publisher=日本アイソトープ協会 |year=1954 |volume=3 |issue=1 |pages=13-15 |naid=130004381267 |doi=10.3769/radioisotopes.3.13}}
* {{Cite journal|和書|author=堀内壽郎, 戸谷富之 |title=ニッケル表面に吸着した水素のエントロピー : 表面物理 |journal=日本物理学会春季分科会講演予稿集
|publisher=日本物理学会 |year=1964 |volume=1964.1 |pages=368 |naid=110002034243 |doi=10.11316/jpsgaiyob.1964.1.0_368}}


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 著書 ==
== 著書 ==
*「一科学者の成長」、1972年 ISBN 4-8329-0701-8
* 「一科学者の成長」、1972年 ISBN 4-8329-0701-8


{{北海道大学総長}}
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2021年9月17日 (金) 11:03時点における版

堀内 寿郎(ほりうち じゅろう、1901年9月17日 - 1979年6月27日)は日本の理学博士である。化学反応速度論触媒研究に大きく貢献した科学者である。

生涯

1901年に北海道札幌市に生まれる。東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)などを経て、1921年東京帝国大学理学部化学科に入学。在学時代から触媒の研究をはじめ、理化学研究所物理学の先駆者と位置付けられる片山正夫の研究室で有機溶媒に対する気体の溶解度を研究した。1925年に大学を卒業した後、1931年に英文の重要な基礎データになった測定結果を発表する。

1932年に欧州にわたり研究活動を行う。ドイツゲッティンゲン大学でオイケン教授の下で分子振動の研究を行う。当時フリッツ・ハーバー研究所所長だったマイケル・ポランニーと共に、1933年にイギリスマンチェスター大学に名誉研究員として渡り、水素電極反応の研究を行った。この背景にドイツはアドルフ・ヒトラーが政権を取ったこともあった[1]

1935年に帰国して、北海道帝国大学理学部の教授に就任する。1940年に化学反応速度論の理論及実験的研究により日本学士院の恩賜賞を受賞。1943年に北海道大学触媒研究所(現・北海道大学触媒科学研究所)を設立して、主に反応速度論の研究を行う。水素電極反応、エチレン水素添加化学量数概念などについて重要な研究を行い、結果として化学反応速度論、触媒化学研究の方法の確立に大きく貢献した。

1948年から1965年まで北海道大学触媒研究所所長を務める。その後、1967年から1971年まで北海道大学学長を務める。

1940年、化学反応速度論の理論および実験的研究の功績が認められて、湯川秀樹らと共に第30回恩賜賞を受賞する。1964年、北海道大学を定年退官する。

主要論文

  • 堀内壽郎「氣體液體の共存状態に於ける分子容の關係に就て」『日本化學會誌』第47号、The Chemical Society of Japan、1926年、587-606頁、doi:10.1246/nikkashi1921.47.587ISSN 0369-4208NAID 130003986367 
  • 堀内壽郎, 岡本剛「水素電極反応の理論」『電氣化學』第5巻第10号、電気化学会、1937年、368-379頁、doi:10.5796/denka.5.368ISSN 0366-9440NAID 130007747841 
  • 堀内壽郎, 廣田鋼藏「水素を吸收したパラヂウム線の電氣的性質」『応用物理』第8巻第6号、応用物理学会、1939年、266-268頁、doi:10.11470/oubutsu1932.8.266ISSN 0369-8009NAID 130003594639 
  • 堀内寿郎「水性ガス反応の理論」『触媒』第8号、北海道大學觸媒研究所、1952年3月、58-78頁、ISSN 05598958NAID 120000968484 
  • 堀内寿郎, 田部浩三, 田中一範「放射性塩素による触媒の研究」『RADIOISOTOPES』第3巻第1号、日本アイソトープ協会、1954年、13-15頁、doi:10.3769/radioisotopes.3.13ISSN 0033-8303NAID 130004381267 
  • 堀内壽郎, 戸谷富之「ニッケル表面に吸着した水素のエントロピー : 表面物理」『日本物理学会春季分科会講演予稿集』第1964.1巻、日本物理学会、1964年、368頁、doi:10.11316/jpsgaiyob.1964.1.0_368NAID 110002034243 

脚注

著書