野又貞夫
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野又 貞夫(のまた さだお、1901年(明治34年)12月23日 - 1976年(昭和51年)10月15日[1][2])は、日本の商学者・学校経営者・政治家だった人物。 学校法人野又学園初代理事長。数多くの学校長を務めた。北海道旭川市出身。子に野又肇がいる。
略歴
[編集]- 1919年(大正8年)函館中学校卒業。函館税関に入庁
- 1923年(大正12年)小樽高等商業学校卒業。函館水電株式会社入社
- 1924年(大正13年)函館大谷高等女学校教諭
- 1939年(昭和14年)函館有斗高等学校を創立。学校長に就任
- 1947年(昭和22年)函館市議会議員(1951年まで)
- 1950年(昭和25年)函館理容美容専門学校を創立。学校長に就任
- 1951年(昭和26年)学校法人野又学園理事長に就任。函館自動車学校を創立。学校長に就任(1954年まで)
- 1953年(昭和28年)函館短期大学を創立
- 1954年(昭和29年)函館理容美容専門学校名誉校長、同終身顧問に就任。財団法人函館自動車学園を創立
- 1955年(昭和30年)函館栄養専門学校を創立し、学校長に就任(1963年まで)。同年、函館医療保育専門学校を創立し、学校長に就任
- 1959年(昭和34年)函館女子商業高等学校を創立。学校長に就任
- 1963年(昭和38年)函館短期大学第4代学長に就任
- 1965年(昭和40年)函館大学を創立。函館大学初代学長に就任
- 1966年(昭和41年)函館短期大学附属幼稚園を創立。園長に就任
- 1968年(昭和43年)函館短期大学付設調理師学校を創立。学校長に就任
- 1972年(昭和47年)社会福祉法人貞信福祉会上湯川保育園を創立。理事長に就任
- 1974年(昭和49年)財団法人函館自動車学園理事長[3][4]
受賞歴
[編集]主著
[編集]- 『女子実業読本』(1933年(昭和8年))
- 『新式簡易家計簿』(1937年(昭和12年))
- 『解道自楽』(1970年(昭和45年))
- 『清流を求めて』(1975年(昭和50年))
- 『私の読むスケッチ』(1976年(昭和51年))
脚注
[編集]- ^ 『学校創立者人名事典』日外アソシエーツ, 2007, p258-259
- ^ 『北海道人物・人材リスト 2004 な-わ』日外アソシエーツ編集・発行, 2003, p1693
- ^ 以上につき「野又貞夫先生略歴」『函大商学論究 12』函館大学商学部, p213-214, 1977
- ^ 以上につき大野和雄編『創立二十周年記念函館大学史』(函館大学、1986年)p1643
- ^ 以上につき村田喜一「故野又貞夫先生の偉業を偲んで」『函大商学論究 12』函館大学商学部, p1-2, 1977
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