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豆しとぎ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
南部地方で食される豆しとぎ

豆しとぎ(まめしとぎ)とは南部地方青森県三八上北地方、下北地方及び岩手県北部(二戸九戸など))に伝わる、潰した米粉砂糖等を混ぜて作った郷土菓子

概要

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しとぎ(粢)とは本来、で柔らかくした米をつぶし、こねて団子のようにした食物を指す[1]

これを豆で作った「豆しとぎ」が、江戸時代八戸藩政期から食されており、ハレの日に山の神・農神へお供えするハレ食として作られた。同類の食物として米が収穫できない地域で「(ひえ)しとぎ」が作られることもあった[2]

『聞き書 岩手の食事』によると、岩手県北では、12月9日の大黒様、12月19日の蒼前様(馬の神)の年取りの供え物になるほか[3]12月12日の山の神の年取りの晩には12個を供えることから「十二しとぎ」ともいう[4]。供え物の場合は「おしとぎ」と敬語で呼ばれ、また、豆もち、または単に「しとぎ」「すっとぎ」とも呼んでいる[4]。おやつとしても好まれた[4]

青森県の南部地方でも、12月に続く様々な神様の年取り行事で、豆しとぎを供えた。

なお、青森県津軽地方には「しとぎ餅」があるが、これは米粉(上新粉)のあんこが入った平たい郷土菓子であり、全く異なるものである。この違いは米が比較的収穫できた津軽地方とやませ(東からの冷風)により、米の収穫が少ない三八地方の事情が大きく影響したためと考えられている[5]

大豆を収穫する秋に作られ主に青大豆が使用されるのが一般的ではあるが、黒豆、茶豆、だだちゃ豆を使用する場合もある。 かつては12月から3月までの寒い時期に作られるのが一般的であったが、現在は通年で土産品として購入することが可能である。

作り方

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地域また家庭により細部は異なるが、概ね次のような作り方が伝えられている[4][6][7][8]

大豆を一晩水につけて、茹でる。豆は固すぎると青臭さが残り、煮すぎると歯ごたえや風味が失われることから、程よい加減を調節する[4][7]

冷ました豆をで挽き、米粉・大豆の煮汁・砂糖を混ぜて、かまぼこの形に整える。

切ったものをそのまま食べるほか、焼いたりふかしたりして食べることも好まれる[9]。日持ちがしないため[4][10]、また新豆を使って作るため[8]、かつては寒い時期に作られていた。生菓子であるため、保存する場合は冷凍するなどの注意が必要である。

参考文献

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  • 『新編八戸市史 民俗編』(2010年 八戸市)
  • 「日本の食生活全集青森」編集委員会 編『聞き書 青森の食事』農山漁村文化協会〈日本の食生活全集〉、1986年8月、185,324-325頁。ISBN 4540860321 
  • 「日本の食生活全集岩手」編集委員会 編『聞き書 岩手の食事』農山漁村文化協会〈日本の食生活全集〉、1984年9月、60,65-66頁。ISBN 4540840223 

脚注

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  1. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『しとぎ』 - コトバンク
  2. ^ 『新編八戸市史 民俗編』(2010年)295P「シトギ」
  3. ^ 聞き書 岩手 1984, p. 60
  4. ^ a b c d e f 聞き書 岩手 1984, pp. 65–66
  5. ^ 「北奥羽コナモン再発見 粉食文化とくらし」デーリー東北2012年10月8日
  6. ^ かみきたの餅』(pdf)上北地域県民局地域農林水産部、2016年3月、4,17-18頁https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kenmin/ka-nosui/files/mochibook.pdf 
  7. ^ a b 岩手県食の匠について” (PDF). 岩手県立宮古水産高等学校. 2022年6月11日閲覧。
  8. ^ a b 篠原久仁子「「野菜ジャーナリスト」篠原久仁子が行く!にっぽん豆紀行(3)青森県・南部地方」(pdf)『豆類時報』第37号、日本豆類協会、2017年6月、27-32頁。 
  9. ^ 聞き書 青森 1986, p. 185
  10. ^ 豆シトギ”. 岩手県立博物館デジタルアーカイブ. 2022年6月11日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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