谷超豪
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谷 超豪 | |
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谷超豪、1959年 | |
生誕 |
1926年5月15日 中華民国 浙江省永嘉県 |
死没 |
2012年6月24日 (86歳没) 中華人民共和国 上海市 |
国籍 | 中華人民共和国 |
民族 | 漢族 |
出身校 |
浙江大学 モスクワ大学 |
職業 | 数学者 |
政党 | 中国共産党 |
配偶者 | 胡和生 |
子供 | 谷暁明 |
谷 超豪 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 谷 超豪 |
簡体字: | 谷 超豪 |
拼音: | Gǔ Chāoháo |
和名表記: | こく ちょうごう |
谷 超豪(こく ちょうごう、1926年5月15日 - 2012年6月24日)は、中華人民共和国の数学者。浙江省永嘉県出身。中国科学院院士。
経歴
[編集]1926年5月15日、浙江省永嘉県で生まれる。甌江小学(現在の温州市広場路小学)、聯立中学(現在の温州二中)、温州中学を経て、1948年、浙江大学を卒業。同年10月、母校である浙江大学に採用され、数学系にて助教に就任した。1940年3月に中国共産党入党。1957年9月、政府派遣留学生としてソビエト連邦のモスクワ大学に留学し、1982年同大学より物理・数学科学博士号を授与された。1960年には、浙江大学にて数学系の教授に昇任した。1957年1月1日には数学者の胡和生と結婚。
1966年6月、文化大革命が始まり、谷超豪は紅衛兵の批判を受けた。1976年、文化大革命が終わり、数学研究所に戻った。
1978年8月に復旦大学へ転じて復旦大学数学系主任に就任。1982年1月、復旦大学副校長に就任。1984年9月には復旦大学研究生院院長を兼務する。1986年6月に復旦大学副校長を辞め、10月に復旦大学数学研究所所長を務めた。1988年2月、中国科学技術大学校長に就任。同年4月には中国科学技術大学研究生院院長を兼務する。1999年8月19日、温州大学校長に転出。
2012年6月24日、上海市で病気のため死去した[1][2]。62歳。
家族
[編集]- 父:谷伝声
- 生母:陸仲禎
- 庶母:胡玉香
- 長姉:谷素蓮
- 次姉:谷仲蓮
- 三兄:谷超英(谷力虹)
- 五弟:谷超志(1927年生)
- 六妹:谷月卿(1929年生)
- 七妹:谷月嬋(1931年生)
- 八弟:谷超俊(1933年生)
- 九妹:谷月霞(1933年生)
- 妻:胡和生
- 長男:谷暁明
栄典
[編集]- 1980年、中国科学院院士
受賞
[編集]- 2010年1月11日、2009年度国家最高科学技術賞
脚注
[編集]- ^ 章坤良 (2012年6月24日). “中国著名な数学家である谷超豪氏が死去”. 東方網 2021年11月13日閲覧。
- ^ “中国の著名な数学者・谷超豪氏が死去”. 人民網. (2012年6月25日) 2021年11月13日閲覧。
参考文献
[編集]- “谷超豪” (中国語). 中国科学院. (2021年) 2021年11月13日閲覧。
外部リンク
[編集]教育事務所 | ||
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新設 | 復旦大学研究生院院長 1984年9月-1987年6月 |
次代 楊福家 |
先代 滕藤 |
中国科学技術大学校長 1988年2月-1993年7月 |
次代 湯洪高 |
先代 管惟炎 |
中国科学技術大学研究生院院長 1988年12月-1992年9月 | |
新設 | 温州大学校長 1999年8月-2006年4月 |
次代 陳福生 |