藤江恵輔
表示
藤江 恵輔 | |
---|---|
生誕 |
1885年11月8日 日本・兵庫県 |
死没 | 1969年2月27日(83歳没) |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1905年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍大将 |
藤江 恵輔(ふじえ けいすけ、1885年(明治18年)11月8日 - 1969年(昭和44年)2月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。
経歴
[編集]兵庫県出身。代々龍野藩儒を勤めた藤江家に生まれる。龍野から転籍して大阪府士族であった生國魂神社小宮司、藤江卓蔵の次男。大阪陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校を経て、1905年(明治38年)11月、陸軍士官学校(18期)を卒業、翌年6月、砲兵少尉任官。1910年(明治43年)11月、陸軍砲工学校高等科を卒業。1914年(大正3年)11月、陸軍大学校(26期)を卒業した。
参謀本部員、フランス大使館付武官補佐官、参謀本部付(欧州出張、ブカレスト・ソフィア駐在)、陸大教官、野戦重砲兵第5連隊付、第16師団司令部付(京大配属)、陸軍兵器本廠付、ジュネーブ軍縮会議出張、野戦重砲兵第2連隊長などを歴任。1934年(昭和9年)8月、陸軍少将に進級し。陸軍野戦砲兵学校幹事、野戦重砲兵第4旅団長、関東憲兵隊司令部総務部長、同司令官、憲兵司令官などを経て、1937年(昭和12年)11月、陸軍中将となる。
第16師団長、参謀本部付、陸大校長を経て、1941年4月、西部軍司令官[1]。1943年(昭和18年)2月、陸軍大将に昇進。東部軍司令官、第12方面軍司令官を勤め、1945年(昭和20年)3月、予備役となるが、同年6月に召集を受け、第11方面軍司令官兼東北軍管区司令官に同年10月まで在任した。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[2]。