藤原当幹
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時代 | 平安時代前期 - 中期 |
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生誕 | 貞観6年(864年) |
死没 | 天慶4年11月4日(941年11月25日) |
別名 | 字:藤興 |
官位 | 従三位、参議 |
主君 | 醍醐天皇→朱雀天皇 |
氏族 | 藤原南家巨勢麻呂流 |
父母 | 父:藤原良尚、母:菅野高年の娘 |
兄弟 | 菅根、当幹、真興、顕相、真能守ら |
妻 | 藤原氏江の娘 |
子 | 有方 |
藤原 当幹(ふじわら の まさもと)は、平安時代前期から中期にかけての公卿。藤原南家巨勢麻呂流、右兵衛督・藤原良尚の九男。官位は従三位・参議。
経歴
[編集]昌泰元年(898年)35歳で文章生に補せられると、左衛門少尉・六位蔵人を歴任し、延喜4年(904年)従五位下・下野守に叙任され地方官に転じる。
延喜9年(909年)左大臣・藤原時平の没後まもなく左衛門権佐として京官に復帰すると、延喜10年(910年)従五位上・右少弁、延喜13年(913年)左少弁、延喜15年(915年)正五位下、延喜17年(917年)従四位下と、醍醐朝中期には弁官を務めながら順調に昇進する。のち右京大夫・大宰大弐を経て、延喜23年(923年)60歳で参議に任ぜられ公卿に列した。
延長3年(925年)以降、醍醐朝末から朱雀朝にかけて、議政官として長く治部卿を兼ねる一方、延長6年(928年)従四位上、承平4年(934年)正四位下と昇進し、承平7年(937年)従三位に至る。年来からの病気により公務を務められないとして、天慶4年(941年)2月以降辞官を請うていたが、同年11月4日八坂東院にて薨去。享年78。最終官位は参議従三位治部卿。
官歴
[編集]『公卿補任』による。
- 昌泰元年(898年) 春:文章生(字藤興)
- 昌泰4年(901年) 正月27日:左衛門少尉
- 延喜3年(903年) 2月:兼山城権掾。5月7日:六位蔵人
- 延喜4年(904年) 正月7日:従五位下(氏爵)。正月25日:下野守
- 延喜9年(909年) 4月22日:左衛門権佐
- 延喜10年(910年) 正月7日:従五位上。正月21日:昇殿。5月29日:右少弁
- 延喜13年(913年) 4月15日:左少弁
- 延喜15年(915年) 正月7日:正五位下。正月12日:兼山城守。6月25日:兼木工頭
- 延喜17年(917年) 11月17日:従四位下(朔旦冬至)
- 延喜18年(918年) 正月12日:右京大夫。3月7日:昇殿
- 延喜20年(920年) 正月30日:大宰大弐
- 延喜23年(923年) 正月12日:参議。正月22日:太宰大弐如元
- 延長3年(925年) 正月30日:止大弐。参議如元。10月14日:兼治部卿
- 延長5年(927年) 11月16日:兼讃岐守
- 延長6年(928年) 正月7日:従四位上
- 承平元年(932年) 12月17日:止讃岐守
- 承平3年(933年) 正月13日:兼備前権守
- 承平4年(934年) 正月7日:正四位下
- 承平5年(935年) 2月23日:兼近江権守
- 承平7年(937年) 正月7日:従三位、止近江権守
- 天慶3年(940年) 3月25日:兼播磨守
- 天慶4年(941年) 11月4日:薨去(参議従三位治部卿)
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
出典
[編集]- 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
- 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年