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菅寿雄

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菅 寿雄(かん ひさお、1912年12月10日 - 1991年3月18日[1])は、日本実業家化学技師雅号は木桃。セントラル硝子常務取締役監査役

第94代内閣総理大臣菅直人の父。政治運動家菅源太郎の祖父。三井信託銀行専務を務めた平地弘和は長女の夫。広島大学医学部教授を務めた医学者の津下健哉は義弟。

経歴

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岡山県久米郡福渡町下神目(現岡山市北区建部町下神目)出身。江戸時代、菅家は村の庄屋を務めた家柄であった。父の菅實開業医であり、久米郡医師会長、郡会議員等を歴任した[2]

1936年東京工業大学東京科学大学の前身)応用化学科卒業。1937年1月、宇部曹達工業(セントラル硝子の前身)に入社。取締役技術部長を経て1965年、セントラル硝子常務取締役に就任、1977年、同社監査役。1991年3月18日、急性肺炎のため死去[1]

人物

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趣味俳句[3]宗教日蓮宗[3]

長男直人と姪伸子の結婚についてジャーナリストの奥野修司によれば「伸子さんから聞いたのですが、伸子さんの母親が上京し、兄妹でもある双方の親が顔を突き合わせて話しあったそうです。ですが、そのうちに、日本は核武装すべきかどうかの大論争が始まり、結婚話はそっちのけ。何度か開かれた家族会議もそんな調子で、最後はみな疲れて寝てしまっていた、と言っていましたね」という[4]

家族・親族・家系

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脚注

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  1. ^ a b 『現代物故者事典1991~1993』(日外アソシエーツ、1994年)p.198
  2. ^ 菅家系図(久米南条郡下神目村)
  3. ^ a b 『第二十一版人事興信録(上)』1961年 す一五頁より
  4. ^ 週刊新潮』(2010年6月17日号)、136頁
  5. ^ a b c d e 『第十六版人事興信録(上)』1951年 す之部 す七頁より
  6. ^ 『第廿一版人事興信録(上)、1961年』には「杉七郎七女」とある