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若松コロニー

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カリフォルニア州におけるゴールド・ヒルの位置
カリフォルニア州におけるゴールド・ヒルの位置
カリフォルニア州におけるゴールド・ヒルの位置

若松コロニー(わかまつコロニー、Wakamatsu Tea and Silk Colony)とは、アメリカ合衆国カリフォルニア州エルドラド郡ゴールド・ヒル英語版にあった日本人コロニーである。アメリカで最初の日本人コロニーとされる。コロニーの名は福島県会津若松市に因む。

解説

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1868年戊辰戦争に敗れた会津藩藩士の何人かは、会津藩と交流していた商人ジョン・ヘンリー・スネルに導かれ、ゴールドラッシュに沸くアメリカカリフォルニア州へ向かい、日本のと、生産のためのの栽培をしながら「若松コロニー」と名付けた入植地を築こうとしていた。

1869年5月20日、移民船でサンフランシスコに到着した藩士とその家族、そしてスネルの妻と子守りの「おけい」を始めとする日本人一行は、鉱山で栄えるゴールド・ヒルへ向かった。そしてスネルはゴールド・ヒルの農地を買い取り、日本人を住まわせた。

最初はこのコロニーでの茶などの栽培は順調だったが、後に天候のため茶の栽培が出来にくくなった事や資金不足、あるいは病気の流行などが原因でこのコロニーは崩壊してしまった。

1870年にアメリカで行なわれた人口調査において、エルドラドに住む日本人(日本生まれでジャパニーズであると記載のある者)は22名とされており、若松コロニーの入植者であると思われる[1]

1871年4月、若松コロニーが行き詰まったスネルは「コロニーの資金調達の為」と言い残し、日本人入植者達を残して1人で日本へ行くが、二度と戻って来る事はなかった。

若松コロニー以前の日本人入植者

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ウィリアム・モロー著『二世:おとなしいアメリカ人』によると、若松コロニーができる1年前に日本人入植者があり、アラメダ郡に農園を借入れたことがサンフランシスコ・クロニクル新聞に掲載されているという。彼らは英仏語を話し、「その故国においては、教養あり勢力のある紳士たちで、文明諸国を旅した結果、その思想があまりにも自由主義的になり、ミカドに仕えるにふさわしくなくなったので、ほとんど無一物となり、やむを得ず国から逃亡したものである」と記事は伝えている。この日本人は塚原昌義松本寿太夫万延元年遣米使節小野友五郎遣米使節に参加した幕臣)らとされる。

若松コロニーを題材にした作品

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脚注

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外部リンク

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座標: 北緯38度46分15.2秒 西経120度53分12.4秒 / 北緯38.770889度 西経120.886778度 / 38.770889; -120.886778