第5軍 (日本軍)
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第5軍 | |
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創設 | 1937年(昭和12年)12月8日 |
廃止 | 1938年(昭和13年)12月15日 |
再編成 | 1939年(昭和14年)5月19日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 軍 |
所在地 | 朝鮮-満州/満州/北支 |
通称号/略称 | 城 |
最終上級単位 | 大本営/第1方面軍 |
最終位置 | 東安省 鶏寧県 |
戦歴 | 日中戦争-第二次世界大戦 |
第一次編成
[編集]1937年(昭和12年)12月8日に編成され、大本営戦闘序列に編入、1938年(昭和13年)12月15日戦闘序列解除。
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- 司令官
- (兼)古荘幹郎 中将:1937年(昭和12年)12月8日 - 1938年(昭和13年)12月15日
- 参謀長
- (兼)秦雅尚少将:1937年(昭和12年)12月8日 - 1938年(昭和13年)2月26日
第二次編成
[編集]1939年(昭和14年)5月19日に編成され、関東軍編組の第1方面軍に所属した。主に満州東部の守備にあたり、対ソ防衛戦にはソ連軍と交戦し在留邦人の脱出を掩護した。ソ連軍の第1極東方面軍第5軍と交戦中に停戦命令を受領した。
歴代司令官
[編集]- 土肥原賢二 中将:1939年(昭和14年)5月19日 - 1940年(昭和15年)9月28日
- 波田重一 中将:1940年(昭和15年)9月28日 - 1941年(昭和16年)10月15日
- 飯村穣 中将:1941年(昭和16年)10月15日 - 1943年(昭和18年)10月29日
- 上村利道 中将:1943年(昭和18年)10月29日 - 1944年(昭和19年)6月27日
- 清水規矩 中将:1944年(昭和19年)6月27日 - 終戦
歴代参謀長
[編集]- 倉茂周蔵 少将:1939年(昭和14年)5月19日 - 1940年(昭和15年)3月9日
- 牧野四郎 少将:1940年(昭和15年)3月9日 - 1941年(昭和16年)4月21日
- 田坂専一 少将:1941年(昭和16年)4月21日 - 1942年(昭和17年)7月1日
- 稲田正純 少将:1942年(昭和17年)7月1日 - 1943年(昭和18年)2月22日
- 片岡董 少将:1943年(昭和18年)2月22日 - 1944年(昭和19年)8月3日
- 河越重定 少将:1944年(昭和19年)8月3日 - 終戦
歴代参謀副長
[編集]- 稲田正純 大佐:1941年(昭和16年)7月7日 - 1942年(昭和17年)7月1日(参謀長に昇格)
最終司令部構成
[編集]- 司令官:清水規矩 中将
- 参謀長:河越重定 少将
- 高級参謀:柏田秋治 大佐(陸士33期)
- 情報参謀:前田忠雄 中佐(陸士43期)
- 参謀:佐藤豊 少佐(陸士46期)
- 参謀:月岡貞紀 少佐(陸士46期)
- 兵器部長:中楯弘観 少将(陸士25期:1945年(昭和20年)1月20日 - )
- 経理部長:江間健治 主計大佐(1944年(昭和19年)8月25日 - )
- 軍医部長:佐藤俊二 軍医少将(1944年(昭和19年)3月1日 - )
- 獣医部長:飯塚和吉 獣医大佐(1944年(昭和19年)5月1日 - )
- 法務部長:高橋俊士 法務中佐(1944年(昭和19年)3月1日 - )
所属部隊
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昭和16年(1941年)12月の所属部隊[編集] |
昭和18年当時[編集] |
終戦時[編集]
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脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “●日米交渉当時の日本陸軍の部隊編成”. 国立公文書館 アジア歴史センター. 2023年2月9日閲覧。