笠原克太郎
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笠原 克太郎(かさはら こくたろう、1838年(天保9年11月[1][2]) - 1898年(明治31年)11月7日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]越後国頸城郡潟町村(のち新潟県中頸城郡潟町村→大潟町、現・上越市)生まれ[1]。農業を営み、郷長、第七大区長、新潟県会議員、第百三十九国立銀行取締役となる[1][2]。
1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において新潟8区から立憲自由党公認で立候補して当選した[3]。衆議院議員を1期務め、同年8月の第6回衆議院議員総選挙で憲政党から立候補して落選した[4]。落選から間もない11月に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。