コンテンツにスキップ

稲垣太祥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
稲垣 太祥
時代 江戸時代末期 - 昭和時代
生誕 安政6年6月11日1859年7月10日
死没 昭和7年(1932年1月27日
別名 太良、藤五郎(通称)、蘭圃(雅号
墓所 吉祥寺東京都文京区駒込)
官位 正三位従二位勲二等子爵
近江山上藩の第9代藩主
氏族 稲垣氏
父母 父:稲垣太清
兄弟 太祥、民(松平銀太郎室)
藤波教忠
渡辺潔綱
重厚
テンプレートを表示

稲垣 太祥(いながき もとよし)は、近江山上藩の第9代(最後)の藩主、子爵位階勲等従二位勲二等。第8代藩主稲垣太清の長男。正室は藤波教忠の娘。継室は渡辺潔綱の娘。子は稲垣重厚(長男)。通称は藤五郎。名は太良とも。日本画を滝和亭に師事し、は蘭圃。

経歴

[編集]

明治元年(1868年)12月24日から病に倒れた父の代理として藩政を担う。明治4年(1871年)9月30日、父の隠居により家督を相続する。明治12年(1879年)8月6日、隠居し、妹の民子(後の松平銀太郎妻)に家督を譲る。明治19年(1886年)6月28日、民子の隠居により、再び家督を相続する。同年7月16日、子爵となった。稲垣家は女性戸主であったため、叙爵がなされていなかった。明治25年(1892年)7月30日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[1][2]、その後、6期連続で選ばれ死去するまで在任した[1][3]。昭和7年(1932年)正月27日、74歳で死去した。

法号は稲垣太祥大人命。墓所は東京都文京区駒込の吉祥寺。

栄典

[編集]

家族

[編集]

父母

子女

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』36頁。
  2. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、5頁。
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、39頁。
  4. ^ 『官報』第1782号「叙任及辞令」1918年7月11日。
  5. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。

参考文献

[編集]
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年


日本の爵位
先代
叙爵
子爵
山上稲垣家初代
1886年 - 1932年
次代
稲垣重厚
当主
先代
稲垣民子
山上藩稲垣家
1886年 - 1932年
次代
稲垣重厚
先代
稲垣太清
山上藩稲垣家
1869年 - 1879年
次代
稲垣民子