稗造村

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ひえづくりむら
稗造村
廃止日 1954年11月3日
廃止理由 新設合併
稗造村、富来町、福浦村熊野村東増穂村西増穂村西海村西浦村富来町
現在の自治体 志賀町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 石川県
羽咋郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,209
(1953年)
隣接自治体 石川県:羽咋郡富来町東増穂村鹿島郡釶打村鳳至郡穴水町剣地村
稗造村役場
所在地 石川県羽咋郡稗造村今田
座標 北緯37度09分19秒 東経136度45分39秒 / 北緯37.15531度 東経136.76083度 / 37.15531; 136.76083座標: 北緯37度09分19秒 東経136度45分39秒 / 北緯37.15531度 東経136.76083度 / 37.15531; 136.76083
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稗造村(ひえづくりむら)は、石川県羽咋郡に存在した

村名は、当村の北半分が江戸時代に当地に存在した「稗造荘」に属していたことによる。

地理・概要[編集]

  • 現在の志賀町、富来町(1954年ー2005年)における北東部に位置。
  • 丘陵に囲まれた、富来川の中流・上流の谷、盆地の地域に位置する。
  • 当時の産業は農業が主で、山林地帯では林業も行われ、木炭などを出荷していた。
  • 山:高塚山 (161m)、風吹岳 (354m)、河内岳 (399m)
  • 河川:富来川、広地川

歴史[編集]

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、羽咋郡東小室村、大西村、江添村、広地村、今田村、和田村、貝田村、尊保村、楚和村、阿川村、入釜村、灯村、鵜野屋村、地保村、切留村及び田中村の区域をもって、羽咋郡稗造村が発足する。当時は383世帯、人口2,212人。
  • 1920年大正9年)- 世帯366、人口2,181人。
  • 1950年昭和25年) - 入植が行われた、今田と和田に跨る地区をもって、八千代が大字として、新設する。
  • 1953年(昭和28年)- 世帯392、人口2,209人。
  • 1954年(昭和29年)11月3日 - 羽咋郡富来町、福浦村熊野村、稗造村、東増穂村西増穂村西海村及び西浦村が合併して、改めて羽咋郡富来町が発足する。17大字は富来町の大字に継承。

教育[編集]

関連項目[編集]